「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

エヴァンゲリオン新劇場版 Q

$ニセモノ エヴァンゲリオン新劇場版Qを観てきました。 既に今年で一番の観客動員数を記録し、まだまだ記録はのびそうな勢いです。 僕が見に行ったのは平日の夜10時からの回だったのですが、かなり埋まってました。 このブログのほとんどがネタバレなので、いまさらネタバレ注意というのも、ナンですが、この映画は本当に何の予備知識もなく見に行った方が楽しめると思うので、厳重に以下ネタバレ注意とさせていただきます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 以下、内容に触れます。まだご覧になってない方はお控えください ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー まず、冒頭の先頭シーン。 実際の宇宙工学に基づいて、動きがデザインされているというほどのこだわりだったようですが・・・初見では何が行われているのか全く分かりませんでした。 映画を見終わって、ネットで調べてようやく、シンジを救出するシーンだったことが分かりました。 その後、ヴンターと使徒の戦闘シーンがあり、マニアには涎が出るほどの映像だったらしいのですが、個人的にはエヴァンゲリオンでの先頭が観たかったです。 ここからかつての登場人物が、驚きの変貌を遂げて登場し、シンジと観客は未知の世界に入り込んでしまったように不安な気持ちになります。 14年後の世界と分かっても、何が起きて、これからどうすれば良いのか、全く分からないシンジと観客の気持ちは完全に同期されて、周りが口にする”あやしい用語”や”都合の良いロジック”にすがるしかありません。 とにかく、意味の分からない用語がバンバン出てきて、それがさらに意味の分からないものに変わったといって驚いている登場人物たち。シンジと観客は置いてけぼり・・・。 まさにエヴァ!これがエヴァ! 哲学的なのではなく衒学的!深い内容がありそうで、本当は何も隠れていない物語、それがかつてのエヴァでした。そんなtv版や旧映画版が世に出て、既にコンテンツの頂点を極めたにもかかわらず、新劇場版が制作されたのは、そんなんじゃないエヴァを作るためだったんじゃないの?? 少なくとも僕はそう理解しておりました。 序、破はエンターテインメントに徹しており、新劇場版の魅力はこの分かりやすさにあると勝手に期待していました。 なのにQでは訳分からない用語の羅列、槍がなんなのか、ガフの扉?リリン?ゲンドウは何がしてーんだよ。。と。 また意味深な言葉を並べて、すべてほっぽりだしてしまうのでしょうか。 カヲルくんみたいに・・・。 まさに映画のカヲル君が、エヴァそのものでした。 何もかも分かった様な顔をして、最後は何も語らず一人で諦めて消えてしまう。 本当は何も分かっていなかったのだ。 もうここまで風呂敷を広げてしまったら、万人が納得するような終わり方はあり得ないと思います。 サードインパクトというのは、こういう理由で起こってー、使徒ってのは、何者で、エヴァってのはこうやって作られてー、っていう整合性のとれた物語にはなりえない。 どうやったって、”すべて計算通り”と訳知り顔するゲンドウの行動に納得のいく説明をつけることはできない。 だから、結局、tv、旧映画と同じように拡散して終わると僕は思います。 そして、また新たなエヴァが作られるような気がします。 エヴァは終わらない・・・終わらない物語。 こうやって、真理のない物語を永遠と続けていくこと、それ自体が目的なのかもしれません。 整合性も論理性も目的も、始まりも終わりもない不条理な物語。 でも、それこそが最もこの世界の在り方に肉薄しているのかもしれません。 だから、深読みしたり、考察したりすることがバカバカしいとは思いません。 エヴァの凄さは、ここまで人々を熱中させるところだから。考察まで含めてエヴァ。 (ピアノがYAMAHAだったのは、3本の槍のマークと関係してるんじゃないか、とかもうばかばかしすぎて、すてきです。) 期待を裏切られましたが、良い映画だったと思います。 ここまで皆が書きたくなるんだしね。