「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

営業現場から製造現場へ

入社から2年3カ月、現場第一線で営業してきたけど、9月いっぱいで終わった。 最後、試練の様に、いろいろ問題が起きたけど、何とか収束させて、引き渡せたような気がする。 ・お客さんに譲歩し過ぎて、営業部長からめちゃくちゃ怒られた →結果的にかなり利益出せた、なんで怒られの・・・? ・過去の商売に対して変更を求められた →なんとか説得して消沈 ・リコール発生 →営業サイドで同行できる問題じゃない という感じ。 9月29日、最後の業務を終えた後、お客さんが送別会を開いてくれた。 新入社員の頃一年間担当していただけだったのに、非常に有難い。 担当したてのころから、飲みにつれていってくれて、仕事とは全く思えないほど楽しかった。 同期も友人もいない中で、唯一、遊んでいて楽しい人だった。 いつもは、そんなチャランポランな関係なのに、最後、別れた後、電話をくれた。 電話口であの人は寂しくなるなと泣いていた。 泣かないはずだったのに、もらい泣きしてしまった。 そこまで、別れを惜しんでくれる人と出会えたというだけで、僕の2年3カ月の営業生活は素晴らしいものだったと言える。仕事内容は辛かったり、バカバカしかったりしたけど、心から尊敬できる人に出会えて、心を通わせることができたのだから、ここに来てよかったのだ。 30日に荷物を出し、1日に大阪で荷物を受け取った。 1日は姫路と京都で営業をしている同期と実家で晩餐会。 「同期の活躍が聴こえてくるのは自分のことのように嬉しい」と言ってくれるほど気の良い奴らだ。 本当に彼らにも頑張ってほしい。 2日に荷物整理。 本当に母親っていうのはありがたい存在だなぁ。前の引越しの時は、荷物整理は自分一人で、金もなく、ものもなく、寂しくて心がつぶされそうだった。すぐに熱を出して、寝込んでいたら、母親が看病に来てくれて、目が覚めたら、家に必要な細かいモノが全部そろっていた。物干しざお、薬箱、食器置き、等、数えきれないほど。 買ったら数万円になるかもしれない。そこから、非常に暮らしが楽になった。とはいえ、毎月のように熱を出して、実家に帰ったり、看病に来てもらったりしていたけど。 2年目になると、全く熱も出さなくなり、逞しくなったような気がする。 それでも、やっぱり新天地は心細い。家族が近くにいるというだけで、何か心が落ち着くのは、まだまだ僕が親離れ出来てないということなのだろうか。 3日から新しい職場へ。 なんだか大企業の力を見せつけられている気がする。 頭がガンガンするほど、大変だけど、知識がぐんぐん身についていくようで、楽しい。 営業にいたときは毎日毎日、俺って必要ないよなと思いながら仕事をしていたから、それと比べると、働きがいは比べ物にならないくらいだ。 これからが大事!! 顔晴るぞー。