「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

少年時代の家庭事情の件

腰痛が高校の頃のバイトから端を発しているという話をしてたら、なんだか腹が立ってきました。(整形外科医に腹筋も背筋も無さ過ぎるとディスられたからでは決してない)なぜ私が身体を壊してまで高校でバイトをしていたかというと、学費の高い私立に入学してしまったため、あまり親に負担を掛けたくないと思っていたからです。

当時は今みたいに親の会社名から年収を検索するようなツールもなく、家族のライフスタイルから自分の家の経済状態を推察するしか方法はありませんでした。

高校の頃の私の家はというと ・生まれてからずっと賃貸生活 ・海外旅行は一回も行ったことがない ・国内旅行はキリスト教でもないのになぜかYMCAの宿舎(宿泊費がめちゃくちゃ安いのだ) ・車はコンパクトカー1台 ・外食は父の好きな”鴨鍋”のみ、コース料理もファミレスも皆無 ・兄は学費の関係で私立の医療系学部を断念、国立の学校に進学

この状況からは「うちは普通よりも貧乏なのだ」という結論しか導き出せませんでした。だってみんながハワイだの北海道だの旅行の話をしているのに、うちはYMCAの宿舎でトレイを持って朝食列に並んで、千切りのキャベツにオレンジのドレッシングかけて、「美味しいご飯ださー食べよう」という歌を歌った思い出しかないんだから。周りはキリスト教徒だけだから、どんなに肩身が狭かったか・・・。でも、今なら分かります。親の稼ぎがあれば、きっと家も買えたし、海外旅行も行けたし、温泉も行けた、ちょっとした高級車も買えたし、私立の大学にもいかせられた。全部は無理でも一つくらいはできたはず。少なくともYMCAの宿舎に泊まる必要はなかった。

でも、うちの親はそれをしなかった。子供に「うちにはお金がある」と思わせるのは教育上よろしくないと考えたのかもしれないし、ただ「自分がやりたいこと」のためにお金を遣いたかったからかもしれない、あるいはその両方を狙っていたのかも知れない。(本当はキリスト教徒だったのかもしれない)

まぁ百歩譲って海外旅行なんてしなくても良いとしても、高校生の頃のバイトはするべきじゃなかったと今では深く後悔しています。腰を悪くしたからではなくて、あの貴重な青春時代を貴重だと気付く前の段階で無駄に浪費してしまったから。部活をするなり、本を読むなり、友達と遊ぶなりした方が、まだマシな時間の使い方だった。社会人の方なら分かると思いますが、高校時代何の部活をやっていたかは一生背負って生きていく十字架なのだ。(と言いつつ、あのころの自分を思い出してみるとバイトしなくても、きっと部活なんてせず、ゴロゴロしてたり、ゲームしてたりろくな時間の使い方しなかったとも思う。)

あたりまえだけど、親を責めるつもりは全くないのです。私が親になっても、子供にはお金があることを悟らせないように振る舞うだろうし、自分のやりたいことを我慢し続ける自信もない。ただ、学生時代にアルバイトは絶対にさせない。

だって学生時代アルバイトで時給1000円でバイトするよりも、サラリーマンになって月給をもらった方が圧倒的にコストパフォーマンスが良いもの。10,000円で大学時代に10時間戻れるチケットがあったらみんな買うでしょ?1時間ちやほやされるためにキャバクラで20,000円くらい払ってるんだからさぁ。

好きなだけお小遣いをあげる。でも就職したらその分、必ず親に返す、という方式が一番良いと思う。そしたらさ、親はそのお金を取っておいてさ、子供が結婚した時やさ、孫が生まれた時にさ、みんなでYMCA行けばいいんちゃうのん。