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「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

フィリピンで思ったこと

旅行 日記

先週、一週間、出張でフィリピンに行ってきました。お盆休み真っ盛りに行くことになり、彼女からは大顰蹙。なんで海外出張なんか憧れていたのか不思議なくらい、行きたくなかったですが、仕方ありません。友人と遊ぶ約束をすると、急にめんどくさくなるのと同じですね。

フィリピンはまだまだ貧しいですが、ご飯も美味しく、人も優しく、とても良い国でした。でも、繁華街を歩いていると、なんだか寂しい気持ちになったので、その理由を考えてみました。

街の中心部には、もの凄く大きいショッピングモールが6〜7つ連なっており、何でも揃う様になっています。マクドナルド、スターバックスはもちろん、吉野家ペッパーランチもありました。

もちろん高級ブランド群ばかりが集まる一角もあります。Chanel,Hermes,Bulgari,Vuitton等など、どこの国もショッピングモールは同じ顔を見せてくれます。

高級ブランドに限らず、いろんな店舗が何百、何千と並んでいるのですが、どこを見ても、既視感のある店構えなのです。アメリカ風に洗練されているというか、嘘くさい清潔感というか、何となく”フィリピンらしさ”が感じられないのです。いや”フィリピンらしさ”って何だよと聞かれても私には分かりません。でも、ガラス張りでずらーっと家具や雑貨を展示するというのは、何か違う気がする。端的に言うと、どれも外資が運営している、もしくは外資系を真似て作られてる雰囲気なのです。

そこで思ったのです。この国は、消費者として国際社会に存在するだけなのじゃないかしら、と。欧米が作り上げたものを言われたまま仕入れ、言われたまま消費する国。欧米は潤うし、仕入れて販売した人も潤う、消費した人も満足している、だからそれで良いのかもしれない。でも、何も作り出していない、というか独自性を世界に発信していけていないのは、国として寂しくないか。

なんてぶつぶつ言いながら街を歩いていると、ふと気づきました。 この話は、ブーメランだなと。何も国単位で考える必然性はない。何も作り出さず、右から貰ったものを左に流し、言われるまま消費している主体は誰だ?何も独自性を世界に対して提示出来ていないのに、満足している奴は誰だ?うん、良く知っている。私だ。

フィリピンに感じる残念さは、まさに自分に対する残念さと重なるのです。

別にフィリピンが国を挙げて欧米風の小綺麗な店構えで、小綺麗な雑貨を売らなくても、良いのです。消費者として経済発展して喜ぶのは先進国と一部の富裕層なんだから。フィリピンはフィリピンで、自分たちの好きな様にやった方が、魅力的な国になるんじゃなかろうか。

写真 2014-08-13 17 27 10

こういう雑踏こそが、フィリピンの真骨頂だ。

跳ね返って、自分自身。消費者として社会に存在するだけではつまらない。社会に自分が作り出したものを差し出せる様にならなきゃ。モノでもサービスでも、真心でも良いから。

出張中そんなことを考えていました。