「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

電子書籍と2次元女性について

書物は情報を伝達する媒体に過ぎない。そうであるなら、当然、情報を伝達する媒体そのものの形状はどんなものでも構わない。ただ、情報量は多ければ多いほどいいし、物の大きさは小さい方が良い、質量は軽いほうが良い。その全ての条件において、電子書籍は旧媒体である書物を圧倒的な差で凌駕している。単位情報あたりのコストに関しては日本の電子書籍は出遅れているが、その問題が解決すれば、電子書籍は下方へ流れていく水の如く浸透していくだろう。 女性は愛情を確認しあう対象に過ぎない。そうでなるなら、当然、愛情を確認できる対象そのものの形状はどんなものでも構わない。ただ、自分への愛情は深ければ深いほど望ましいし、顔は可愛い方が良いし、スタイルも良い方が良い。その全ての条件において、2次元女性は旧恋愛対象である3次女性を圧倒的な差で凌駕している。生涯にかかるコストも2次元の方が圧倒的に少ないので、2次元女性への愛情は、ますます世の中で市民権を得ていくだろう。 2次元女性を愛でる言説への批判はそのまま電子書籍推進の言説への批判となることに気付いた。 女性に手を触れ、体を寄せる喜びが得られない!=本を手に取り頬ずりする喜びが得られない! 電源を入れないと現れないなんて味気ない=電源を入れないと表れないなんて味気ない! 2次元はこちらからアクセスしないと反応してくれない。3次元は、目の前にいない時でも、どこかに存在している。彼女が存在しているというだけで、僕に生きる勇気を賦活し、生きる理由を与えてくれる。=電子書籍はこちらからアクセスしないと表れない。読んでいない時でも本棚にある、というだけで自分への知的好奇心をくすぐって、その本を読まなければという使命感が生きる理由を与えてくれる。 とまぁ、こんな感じ。 だから、電子書籍の普及率は2次元女性と真剣に付き合っている人と同じ割合にしかならないと思います。 (それでも急速に増えている!?) 僕は生身の女性が良いし、生身の本が好きなのです。 触りたいし、向こうからの積極的な呼びかけを求めてるし、一緒にいない時でもそばに感じたいからです。