「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

社内評価経済とノマド的評価経済について

社内で出世する、ということと、ノマド的生き方でお金を稼ぐことについての考察。 社内で出世するということは評価をいかに稼ぐか、と言うことに尽きる。 どんなに努力したか、どんなに結果を出したか、ではなく、誰にどう評価してもらうかのみが焦点となる。 99%の人に「あの人は凄い」と評価されていても力のある人に「あいつはダメだ」と言われれば、その人が出世することはない。社内では力を持っている人にどう思われるかが一番重要なのだ。力の持っている人の評価が他の人々の評価を生むこともある。その意味で評価は、通貨の様に数値化でき、共通の度量衡をもつものではない。 極端な話、何にも努力しなくても、何の結果を出さなくても、経営者に気に入られれば、出世することができる。 社内の偉い人が社外の偉い人の案内をしている時も、我々の焦点は社内の実力者にのみあてられる。その人にいかに気持ちよく帰ってもらうかだけに全てのリソースを傾ければよい。それによって、社外的に「おかしな人々のいる会社だ」と思われようが、彼らの会社人生には微々たる影響もないのだから。 そんな評価など、会社を出れば、何の意味もない。第三者の視点から見ると、上記の例などすごく卑屈でばかばかしい態度の様に映る。一歩会社を出れば、地べたをはいずるように構築していた社内評価値なんて全くの無価値なのだから。そこまで卑屈にならず、人間関係の呪縛から逃れようじゃないか。そんな潮流の中、ノマド的ワークスタイルが標榜され始めてきた。 ノマドとは、特定の団体に属すことなく、自分の好きな時間で好きなことをやってお金を稼ぐ人々のことである。 そこで巷で少し話題になっていた評価経済の話をくっつけてみる。評価経済とは、ネットワーク社会の中では評価が一番重要なファクターと想定した経済モデル。人の評価が人の価値を作り、それが評価を生む。評価によって自己実現は達成し、究極的には衣食住さえも得ることが出来ると言う。 ただ、評価を得るとはまさに社内力学と同じことだ。社内の呪縛から逃れたノマド達はまた新たな呪縛を背負わされることになる。評価経済なんて、結局、社内の力学を社外に延長しただけなのだろうか。 否。おそらく異なる点は二つある。 一点目。ネットワーク社会では名もない人たちの注目を一気に惹きつけることが出来る。高名な経営者や学者には見向きもされなくても、一般大衆が集まってくれば、そこにビジネスチャンスが生まれる。宗教やオカルトなんかはエスタブリッシュメントからは見向きもされないが、凄まじい市場規模を持っているではないか。 二点目。好きなことをやって評価を得ることが出来る。社内で通用する評価を得るためには、ただ一人、その権力者の望む動作をしなくてはならないが、ノマド評価経済の中ではこちらから評価を得たい対象を絞り込むことが出来る。その点で、社内評価経済より少し身が軽いと言えるかもしれない。 とか考えた。 社内で評価なんか気にしないで好きなことやっているのが一番楽であるのは間違いない。