「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

インターネット検索について

http://netallica.yahoo.co.jp/news/142636

インターネット検索で調べることができない10の質問 という記事があった。

「人生の意味は何ですか」とか「愛とは何ですか」といった質問が挙げられていた。

したり顔で「そうだろ?」と言わんばかりの内容だ。

まぁ書かされているのか好きで書いてるのか知らないけど、これらを問題にするのもバカバカしいよね。

そもそも、これらの質問に定量的な解答が用意されている訳がない。「インターネット検索では」調べることができない特別な質問じゃないもんね。どこにだって解答はないよ。質問の構造としてないよ。本にもないし、人の頭の中にもない。

そういった質問に対して人々が「私はこう思う」という風に意見を交換し合う場ができるのならば、それは面白いけど、まぁしゃべり場だよね、結局。

最近、仕事をしてて本当に思うことがある。

「インターネット検索では」分からないことってたくさんあるなぁと。

暗黙知というか、経験則というか、勘とも言うのかもしれないなぁ。

学生時代で学ぶことって言うのは個別事象じゃない。どこにでも応用が効く「グランドセオリー」であることがほとんどだ。物体が落下する速度とか歴史上の意味とか。いろんな説はあるけども、共有して意見を交換できる場が開かれている知であったと思う。

だから、はっきり言って授業なんかでなくても塾でも参考書でもインターネットでも、どこにでも聞けば答えが返ってくるような世界の中で生きてきたのだ。

単語を一つ検索すれば、それに付随するありとあらゆる情報が一挙に手に入る。

1を聞けば100返ってくるような学習環境。

どう聞けば良いか分からない、自分が何が分からないのか分からなくても関連語さえ知っていれば、そこから目的知に辿り着くことができた。それは1を100にするどころの話ではない。

1をは金にする とか aを希望にする とか それは別次元へと知を昇華してくれる夢のようなツールであった。

今もそれのおかげでかなり助かってはいるんだけど、それが仇になっている気もしてくる。

仕事を進めていくうえでは、インターネットでは調べることができない定量的な知が必要なことが多いからだ。

かならず答えはある。でも情報公開はされえない。僕が必要としているのは隠された個別具体的な情報なのだ。

1を金に換えてくれるツールに慣れてしまっている僕の頭では、どうやって自分の力で金を見つけだすことができるのかが分からないのである。

何を知れば全体像が見えてくるのか、それを自分で考えて、質問をする。1質問すれば返ってくるのは良くて1、普通は0、相性が悪ければ-1でさえありうる。

情報を得るというのは非常にコストがかかる作業なのだ、ということを最近肌で感じてきた。

職人芸とか運動もそうだな。どれだけインターネットで調べても自分の身にはならない。

仕事の腕も同じような気がした。

ここにはグランドセオリーは存在しない。

でも個別具体的で定量的な情報は確かに存在する。

そこに辿り着くまでの道筋は自分で考えるしかない。

だから、大変。

だから、面白い。

いまの自分の動き方は間違っていないのだろうか。

検索したって分からないなー。

月曜日から少し楽しみでもある。