「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

乙武さんのレストラン問題のまとめ

乙武さんが銀座のイタリアンレストランで入店できなかった問題が、ネット界隈を賑わしています。”Twitter”でも”2ちゃん”でも”はてな”でもこの議論がいろんな角度から展開されており、国民を挙げての大論戦になりました。

そんな大論戦の幕を引くためか乙武さんが再度、詳細に当時の情景や気持ちをつづった文章を発表しました、これが追いオリーブ(最近は、火に油を注ぐ、をこう言うらしい)となってさらに議論が展開されそうなので、今までのところを整理します。

まず、議論の発端となったツイートまとめ http://togetter.com/li/504751

とのこと。 これを受けてネット界隈は、「乙武さんを擁護して、店を徹底的に批判する円陣」と、「店を擁護して乙武さんを批判する円陣」に2分されました。

まず、店を擁護する人のご意見。 http://okayasu.hatenablog.jp/entry/2013/05/19/162555 http://blogos.com/article/62604/ http://togetter.com/li/505722 とかいっぱりありますが、共通する論旨は ”乙武さんは、事前に車いすであることを伝えるべきであって、店が対応できなかったことは店の落ち度ではない。” ”イタリアンは数秒のタイミングで味が劇的に変わってしまう繊細な料理なので、お店の人はお客さんを担ぎにいく時間がないのもしょうがない” ”もし担いだところで怪我でもさせてしまったらどうするの?” といったところでしょうか。 これを見ると、なるほど。店の対応もしょうがないと納得してしまいます。

次に、乙武さん擁護派。 http://togetter.com/li/505916 http://togetter.com/li/504989 代表的なのはMay_Romaさんと大石哲之さんのツイート。彼らに共通しているのは”障碍者障碍者として特別に扱う社会ではなくてはらない”という主張です。May_Romaさんはイギリスではお客さんがスマートに車いすを運ぶなんて当たり前の光景、日本もこうあるべき、と言ってます。なるほど、社会としてはそうある方が望ましい。

大石さんはこの問題を人権問題として捉えます。

ここで店擁護派と乙武さん擁護派がどこで袂を分かっているのか、はっきりします。店擁護は本件を、単なる店とお客のすれ違いの問題、と見ています。その相手がたまたま乙武さんだった、だけの話だと。別に車いすだから入店できなかったのではなくて、忙しくて手が離せなかったから入店できなかったのだと。だから、この問題は"予約した時よりも急に人数が増えて店のキャパが足りずに入れなかった"という問題と同じレベルなのです。気をつければ回避できる日常レベルの問題。

一方、乙武さん擁護派は、まさに乙武さんが断られたこと、そのものを社会問題としてとらえています。大石さんの"人権はフィクションなのだから、積極的に擬制を積み重ねていかなくてはならない"という論旨は、"車いす"だからこそ断ってはいけなかった、という意味です。May_Romaさんの主張は”困っている人をその他の人が助ける社会であるべきだ”と言っています。

「日常レベルの問題で捉えるか」VS「社会問題として捉えるか」の対立なのでこの議論は交わることがありません。

これは人権問題だ、と言えば、いやいや店とお客のいざこざレベルでしょ、と反論されるし。いくら乙武さんでもお店に高い要求をし過ぎ、と言えば、いやいや弱者を助けるのが社会のあるべき姿だ、と反論される。

今日の夕飯は牛丼が食べたいと言っている相手に、食べるために動物を殺すのはいけないことだよ、と言うのと同じ議論です。お互いの主張がぶつかっていないのです。こういうのを算数では”ねじれ”と習いましたね。

そんな風に議論がねじれている間に、乙武さんから再度投稿がありました。

OTO ZONE

 ここだけは誤解されたくないので、繰り返させてほしい。僕はいきなり訪れた店で無理難題を吹っかけて、それが受け入れられなかったから逆ギレしたのではない。客とか、店主とか、そんな関係性を抜きにして、はなから相手を小馬鹿にしたような、見下したような、あの態度が許せなかったのだ。彼の本意がどこにあるにせよ、こちらにそう受け取らせるコミュニケーションに、僕は深く傷つき、腹を立ててしまったのだ

乙武さん曰く、入店できなかったことが問題なのではなく、相手を小馬鹿にしている態度にムカついた、とのこと。友人の女性を泣かせた義憤にかられた実名を公表し批判してしまった、それについては反省しているとのこと。

これで店擁護派は、やっぱり接客の悪い店にむかついてる客、という単純な構図じゃないか、と言う。 乙武さん擁護派は、いや弱者にそんな態度をする社会はあってはならない、と批判する。

この問題をどの軸で捉えるべきか、という答えはないので、どんどん意見をだしあってすれ違っていけば良いのです。議論が出来る社会と言うのはそれだけで健全ですから。

活発な議論のために私の意見を言うと、弱者にやさしい社会であるべきという批判は強く発信し続けた方が良いし、そのことでしか良い社会は実現はしないと思うので、乙武さん擁護派には頑張ってほしいです。でも、この問題事態は飽くまでも個人的な感情の問題だと思うので、お店側を批判するのはちょっと無理があると思ってます。接客の悪い店で胸くそ悪くなるのは、それこそ日常茶飯時ですからね。ただ、お店が効率よくサービスを提供して利益を得なくてはならない性質は変えられないので、何か出来るとしたら、周りに歩いている、もしくはお店で食事をしている未来の自分が、さらりと困っている人に手を貸せる人間になることでしょうか。みんながそういう振る舞いを自然にする社会になった時、ようやくこの議論は、ねじれから、一致に向かうんだと思います。