「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

『若い頃は「ワークライフバランス」ではなく「ワークワーク」が当然』の違和感

若者にワークライフバランスなんていらない

の記事を読んだ時に感じた違和感について、書きます。 この人達は誰にでも出来る仕事は日本から賃金の安い途上国へ移譲されていくから、自分の唯一無二性を高める必要があると言ってます。若い頃にワークライフバランスとか言ってないで馬車馬の様に働いて市場価値を高めろと。ムーギーさんはこんなことを言ってます。

大学卒業後に最初に勤めた投資銀行やその後のコンサルティングファーム時代なんて、毎日、朝の8時から夜中の2時まで、ずっと休みもなく働いていましたからね。でも、そうした時期があったからこそ、キャリアとスキルのベースがしっかりして、働く国や会社の文脈から抜け出ても働けるようになれるわけじゃないですか。 そうしてファイナンスのキャリアやコンサルティングのキャリアに、香港やシンガポールでの経験や人脈をくっつけることによって、参入障壁が上がって、競争相手の数がちょっと減ってくる。すると、どんぐりの背比べの戦いから抜け出すことができて、以下は私のことではないのですが、給料は上がるし、面白い仕事のオファーは来るし、死ぬほど働かなくていいし、というサイクルに入っていくわけです。

自分の過去の苦労を無駄だと思いたくないので、正当化するのは誰にでもある傾向なので、別にどうでも良いんですが、同じ東洋経済の記事でも猪子さんの考えと次元が違いすぎて、ちょっとがっかりしました。

猪子さん、マッキンゼーは嫌いですか?

猪子:マッキンゼーの売り上げとかは前と変わらないかもしれないよ。むしろ伸びてんのかな? なんか最近は「人間力」とかで勝負してるらしいじゃない。でも、社会における存在価値の低下っぷりっは、そこで働いてて感じてたはずなんだよね。 田中:そうですね。確かにそういう面はあるかもしれませんね。 猪子:それはマッキンゼーが言語化や論理化できる領域で勝負してたからなんだよ。80年代から90年代前半までのマッキンゼーのすごさというのは、情報の共有スピードが遅かったがゆえの特異性だったと思う。 ま、それは置いといて。何が言いたかったかというと、言語や論理で再現しにくい領域、もうちょっと人間側から言うと、テンションが上がったり、すごい感動したり、何らかのインパクトを受けるんだけど、その感動を言語で説明したり、論理で説明したりできないような領域、もしくは説明したところでほとんど意味がない領域。 そういうものは、説明しにくいがゆえに再現しにくい。再現方法を共有しにくい。再現方法が共有しにくいがゆえに差異を生むんだよ。競争の差異を。競争の差異を生むがゆえに、その領域が競争力の源泉になっていくと思うんだ。

言語化、論理化するだけの仕事は全て情報化社会の中で駆逐されるかもしれないって言う危機感が決定的に抜けているのが上のムーギーさんの考え方。「いやいや、まだまだそんな時代は来ないよ。人と人との心の繋がりがあるからね」という反論は、そのままムーギーさんが批判する「テープ起こし」の仕事にも当てはまります。仕事を依頼するのも受けるのも同じ「心を持った人間」ですから。 自分も前時代的な考えにとらわれているってことを棚に上げて、人を批判するのはカッコ悪いです。自分のやってきたこと、やっていることは間違っていないと思っているのは、テープ起こしや数字を入れる仕事をやっている人にも言えることなんですよ。だから、人を攻撃するのは、心が荒ぶからやめましょうよ、と思ったのです。