「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

影法師

影法師 (講談社文庫)/講談社
¥680
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8月初旬に向けた試験勉強のせいで、全然本を読んでいません。というか読んでいる場合じゃないのだけど、それでも、なんとなく手を伸ばしてしまい、一度手に取ったら読み終えるまで話さない魔力がこの本にはありました。 下士の身分でありながら、筆頭国家老にまで上り詰めた主人公、勘一。 剣の腕は道場一、学問では藩学校一位、それでいてどこにも威張るところがない親友、彦四朗。 物語は、筆頭家老になった勘一が、彦四朗の不遇の最期を聞き知り、幼き日の思い出を回想していく形で進んでいきます。 幼い時に彼らは出会い、剣でも学問でも、勘一は彦四朗に全く敵わないのだけれど、彦四朗は何かにつけ勘一に力を貸してくれるのです。 こんなに素晴らしい青年の人生が、どこで転落してしまったのでしょうか。 物語は、終盤まで勘一のそこそこ優秀な話と、彦四朗の完璧すぎる英雄譚が綴られており、読んでいると、こんな彼らに何が起きるんだろうと、続きが気になってしょうがなくなります。農民一揆の描写も、生々しい気迫が伝わって来て、教科書で知っていた単語が、リアリティを持って脳内になだれ込んできました。一揆とは農民が武器を持って立ち上がることだ、くらいの知識しかなかったけれども、当時の身分社会で農民が武器を持って立ち上がるというのは、その前にどんな危機的状況があって、その後にはどんな処遇が待ち受けているのか、なんて想像したこともありませんでした。が、この本を読んで、そのリアリティを感じ、鳥肌が止まらなくなりました。一揆って、ここまで不条理で、悲しいものだったとは・・・。 他にも米が単位の基礎になっているうんぬんの説明など、ところどころ読書を楽しませる雑学も含んでいて、飽きさせません。 この物語は、勘一のサクセスストーリでもあります。どうやって下士で特別武芸学問に秀でた訳でもない彼が、夢を成し遂げたのか。強靭な意志力、だけでは説明が出来ない・・・とすると・・・。 単行本では、これは友情の物語、として素晴らしいとの書評が散見されるけれども、この文庫本にはもう一つの結末が付録としてついていて、そのストーリーがこの本をたんなる友情物語以上の深みを与えてくれます。 単行本のラストでも十分に感動的なんだけれども、何か一つ腑に落ちない個所がありました。それは読者のリテラシーでカバーすればいいのかもしれないけど、著者がどんな描き方をするのか、見たいと思うのが読者の我儘なところです。 やはり、百田先生が描いたこのラストは切なくも美しい。 -心からお慕い申し上げておりました。 過去形なのが、彼女の芯の強さと人生の悲しさを表象している気がします。 この物語のテーマは、友情であり、サクセスストーリーであるのは間違いないけど、伏流しているのは、決して表に出してはいけない、静かだが、力強い恋です。 その意味で、主人公勘一は立身出世以外では、どこまでも彦四朗には敵わない凡夫であり続けたし、彦四朗は誰よりも素晴らしい人生を生き抜きました。 人生の価値とは富、権力、通貨、教養、立身出世なんかでははかれない。 たったひとりのひとを慕い続ける以上の人生が他にあるだろうか。 そんなことを思い知らされた名著でした。 百田尚樹さんは時代小説まで詳細に描ける天才作家だと思います。