「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

教授の異常な弁解

教授の異常な弁解 (文春文庫)/土屋 賢二
¥530
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相変わらずどうでもいいコラム集だった。土屋先生の本はもう17冊にもなり、鍋敷き、下敷き、敷布団、最近は何でもかんでもモノの下に置いており(コースター、洗剤置きなど)さすがに上に置くものがなくなってきた。ハブラシ置き、洗濯機置きにしようにもバランスが悪く、使い勝手も良くない。それでも、毎度のまえがきに何か置けと書いてあるから、そうしない訳にはいくまい。最近では、なんでもいいから置くものはないか、といらないものを探していたら土屋先生の本しか思いつかなかったほどだ。 なんでこの人はここまでいい加減で自分も人も信用していないのに、お茶の水大学の名誉教授までに上り詰められたのだろう。「お茶の水大学の名誉教授」という言葉が「60代の良い加減なオッサン」という言葉と入れ替わったのか、僕の眼が「60代のいい加減なオッサン」という文字列を「お茶の水大学の名誉教授」という文字列に変換してしまう機能を有しているか、のどちらかか、そのどちらでもないか、のどちらかであろう。 学術面で恐ろしく優秀か、教育面で恐ろしくカリスマ性を発揮しているのか、経営面で多大な功績を残しているか、そのどれでもないのは本を17冊も読んでいれば、分かる。 が、こんなことを言いながら、17冊も本を買っている自分が、何より彼の能力の証人になってしまうのが一番の悲劇である・・・。 そー、口車が異常に巧いのだ、天才的に、詐術的に。 まさに僕が土屋先生の口車に乗せられた最も哀れな被害者である。