「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

幸・不幸の分かれ道 考え違いとユーモア

幸・不幸の分かれ道 考え違いとユーモア/土屋 賢二
¥1,365
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土屋先生の描き散らしエッセイ! ユーモアエッセイではなく、真面目に、ちょっとオカシク、人生を指南してくれる本。 序盤はみんなが当たり前だと思っている理屈を「それってちょっとおかしくない?」と一つ一つほぐしていく。 一面的に物事をとらえると窮屈になり、不幸になってしまう可能性が高まるので、違った視点を持ってみようということが言いたいのだと思う。 土屋先生は論理哲学専攻だから、めちゃくちゃ詳しいんだろうけど、本書で出てくる例えは、日常生活レベルでとくに真新しいモノは無い感じ。 でも、読んでいて、今の自分の態度を俯瞰出来た気がした。 「こんなこと別に重要じゃないんだよ」とか「自分なんて全然大した人間じゃないから」という態度からユーモアは生まれる、という。その通りだと思う。 学生時代は、そういう大人になりたい、と思っていたことを思い出した。 余裕のある大人、ユーモアのある大人に。 そういう人が好きだったから。 でも、今自分が向かっている方向って真逆だなぁ。どれだけ自分を高く見せるか、価値のある人間に魅せるかだけを意識して暮らしている。先輩にも認められて、同期にも一目置かれて、後輩をビビらせる・・・そういう存在の方が生存戦略上優位だな、と感じて無意識にやっていたことなんだと思う。 そして、会社の上司を観ても、そういう人ばかりだったような気がする。 権威を盾に、ただ偉そうに胡坐をかいているだけの人、社会はそういう人ばかりで成り立っているし、そういう人たちが一番得なんじゃないかと肌で感じた。 僕はそんな人間好きじゃないし、なりたくもない、はずである。 でも、社会で勝ち残るために、まさに自分がなりたくない人間になろうとしていた、ことにビックリした。 社会人になって、「自分ってつまならない人間になったなぁ」と切に思うようになった原因は逆説的だけど、「自分が価値ある人間なのだ」と強く思っているからなのだ。自分を上に上に魅せようとする人間を人は好きにならないし、面白いとも思わないだろう。周りが結果的にどう思うかは自由だけど、「俺ってこんなダメでさぁ」と自分でこき下ろせる人の方が人に好かれるし、自分も好きになれるような気がする。 でも、会社で、自分のダメっぷりをあげつらっても良いモノだろうか? 信用されなくなって何も仕事を回してくれなくなるんじゃね? でも、そうなれば人生楽しくなるのか? でも、そうなると、仕事でいろんな経験ができなくなるんじゃないの? 僕が憧れるのは、いろいろ経験して、酸いも甘いも知っているけど、余裕のある大人なのである。 だから、今は、経験するために自分を上に上に持っていこうとしているのだ・・・。 これで良いのか? これでもうちょっとやってみよう。