「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

竹田教授の哲学講義21講

竹田教授の哲学講義21講―21世紀を読み解く/竹田 青嗣
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こういう哲学の入門書みたいなのが好き。本格的なやつは何回も読まないと頭に入らないし、少し離れると忘れてしまう言葉づかいとかもガンガン出てくるから。 見た目易しそうだからと読み進めてみたら、これが結構きつい。 小学生でもわかる!みたいな類じゃない。 一応、学生との会話形式をとっているんだけど、この学生が哲学を生半可かじっている設定で、突然、訳分からない質問したりする。あ、それってニーチェの言っていることと同じですね?みたいなことをいきなり言うから困る。 それでも、丁寧に読んでいけば、少しずつ判ってくる。なかなか面白い本だった。 プラトンからハイデガーまで重要な哲学的功績を紹介していくんだけど、とても一冊で彼らの思想史を網羅できるわけもなく、大体、世界の認識の仕方の変遷について辿る本、みたいだ。 この本を読んで、すこし認識が明瞭になった点 カント

P141 カントのポイントは、正しい認識は絶対にありえない、というような一般的、直観的な懐疑主義ではなくて、もし世界について極限的な問いを立てるとそれは決して応えられなくなる、ということをはっきりさせたということ。逆にいうと、カントが懐疑主義とまったくちがうところは、かれは、ここまでなら客観認識が成立するというその線を、きわめてはっきり確定した点。

ニーチェ

P215 これはつまり、認識とは、原理的に対象と生き物の身体や欲望のありかたとの相関性としてだけ成立する、ということだね。ニーチェの図式の意味するところは、どんな認識もカオスー力相関性として成立すると言うところだね。このことで、これまでの近代哲学がとってきた主観ー客観図式が完全に終わる。

フッサール

P250 認識問題の本質は、主観と客観がいかに一致するのか、それともまったくしないのかではなく、ある領域では一致が成立し、別の領域では一致しないその理由、本質構造を解明することにある、中略、そうであるなら認識問題は確信成立の条件と構造一般の理論として立てられなければならない。 P254 これまでの主観-客観図式では、認識の客観性をいかに確保できるかとう問題は決して解決されなかった。ニーチェはそれをカオスー力図式あるいは力相関図式で大きく変更した。ニーチェの力の思想の考えは客観存在という項目を決定的に認識論の構図から排除した。さらにフッサールはそれをあらゆる認識は様々なレベルにおける確信である、に置き換えた。このことで認識の多様性と普遍性という相反する事態の本質関係が理解される道が開けたんだ。

ハイデガー

P343 ハイデガーは人間存在の本来性という価値概念を置いてこの価値の普遍性を根拠づけようとするんです。 P346 死の先駆は人間に本来的な生き方の可能性をもたらしうる、というわけ P349 こう見るとハイデガー倫理学はなんといっても神なしにいかに倫理を根拠づけるかという哲学的努力として、20世紀ではニーチェと双壁の力仕事だった

ハイデガーの記述は結構バラバラになってて、ここが重要なポイントだってというところを絞りに難い。 人間存在を死の本質観取から基礎づけて、倫理性を導きだす論理だったとは知らなかった。 竹田先生は、現代分析哲学がお嫌いなようで、フッサールが大好き。現在の近代哲学認識はほとんど誤解でなりたっていると言う。 たしかに、現代哲学はもう袋小路だな、と、詰んでいるな、と大学3年生の時の僕ですら感じたことだ。 この閉塞感から打開するためには近代哲学を読み直すこと、なのかもしれないね。 まぁ、現代哲学もなにもわかんないけど、これからも少しずつ読もう。 人生は長いんだから。