「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

ひとりでは生きられないのも芸のうち

ひとりでは生きられないのも芸のうち/内田 樹
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何冊か並行して読んでるんだけど、つい読みやすい方をぐいぐい進めてしまうようだ。 結局内田先生の本ばかり読んでいる私。 p85 自分の為に働いてはいけないの中で内田先生の『労働論』その根幹となっているのが l'un pour l'autre という考え方。 英訳すると the one for the other 無理やり直訳すると 私は誰かのために になるのかな。 労働の中での主体の成立を、記号と実態、文字と概念、本人と代理人、の関係になぞらえて説明する。 つまり、記号がない実態はないし、実態はない記号はない。 文字がない概念はないし、概念のない文字もない。 代理人がいることが本人が存在していることを示し、本人がいるからころ代理人が存在する。 それは主体と他者との関係でも一緒で、他者がそこにいなくては主体は立ち現れない。だから、自分だけで労働主体を確立することなんて不可能なのである。 誰かのために、ではないと労働主体足り得ない、という話。 p194からの食の禁忌についての文章は、数々の論考の中でも、かなり危うい雰囲気をもつものだった。

「人間を殺して食う人間」は「動物を殺して食う人間」に「罰」を下しているということである。

「私たちが人間が動物を殺す場面」から目をそらそうとするのは、おそらくその経験が、「その罪を相殺したければ人間を殺して食わねばならぬ」という受け入れがたい結論に私たちを導くからである。

とある。 もしこの理屈が正しいとしても、別に罰を下すのは人間じゃなくても良いんじゃないのかなぁ。 他の動物が人間を食らうことで相殺するのじゃいけないのか。 そういう意味で『進撃の巨人』が一種の罪滅ぼし的な重役を現代で担いはじめてるんじゃないか、とふと思った。 もうさくっと読める内田先生の本はほとんど読んでしまった。 これからはもうちょっと学術的な本になっていきそうだ。