「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

街場の現代思想

街場の現代思想 (文春文庫)/内田 樹
¥600
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最近も、本を出しまくりの内田樹先生の本。

難しい話を噛み砕いて説明してくれるから非常に読みやすい。

「こんなの当然知ってるでしょ」というような態度で難解な哲学用語をボンボンだしてくる入門書とか書く人いるけど、内田樹先生は本当に軽いタッチで書いてくれる。

この本は現代社会の身近な悩みをまた軽いタッチで、でも超論理的に回答してくれる。

面白かった点。

文化資本の偏在

文化資本はより狭隘な社会集団に排他的に蓄積される性質を持っている。

文化資本」とは「文化的だなぁと人々の憧れの対象となるもの」を指している。

しかも、それを自然と身につけており、それを身につけていることによって優劣をつけられることすら意識しない人だけが文化資本を持っていると言える。

小さいころから、美術館巡りをしていたり、クラシックの音楽団に属していたり・・・もう初期設定から持っていなくてはならないものだ。

経済的な資本ならば、いくらでも増やしようがある。スポーツでも勉強でもこんちくしょーと思って努力したら得られるものだけど、文化資本は構造的に不可能なのだ。

あいつは文化的だから、俺も頑張ってやる、というスタンスがすでに文化的じゃないから。

あいつより劣っているからっていう発想がすでに功利的だから。

だから、絶対に追いつけるものではない。

俺が、今の生活圏にいる人に対して「え、知らないでどうやって今まで生きていたんだろう」と自然に思ってしまうことがよくあったけど、それも文化資本の断絶によるものかもしれない。

逆に、大学時代は、思い知らされたけどね・・・。

②ランティエ的生き方

哲学的営為とか芸術的創造というのは、単純な話、肘掛椅子にすわってじっと沈思黙考しても、寝食を忘れても、アトリエにこもっていても、誰からも文句をいわれないし飢え死にもしない、というごくごく散文的な条件を必要とするものである。

営業マンをやりながら哲学的論争を展開するとか、トラック運転手をしながら芸術運動を組織するというようなことが不可能なのは、適性の問題もあるが、主として「時間がない」からである。

この文章はものすごく納得してしまった。

なんでこんなに馬鹿になっていくんだろうーと日々悩んでいて、少しでも頭を使おうとこの本を読んだのだけど、この文章で納得した。

他のことで頭を遣う時間が多すぎて、哲学的思考にふける余裕がないのである。

仕事のことで頭を遣ってばかっかりだから、そちらの経験は増えているんだけど、もっと哲学的営為とかアカデミックな頭を持っていたい。

「時間は自分で作るもの」という。

文化資本論じゃないけど、その発想自体が、アカデミックな頭の使い方じゃないんじゃないか。

追い立てられたら深い考えまで届かない気がする。

何日も深遠な問題について頭を巡らせて、本を読み漁って、答えを見つける、あの快感は仕事の合間じゃできないのかもしれない。

非常に残念。

悩みに答が出たけど、それがさらに悩みになってしまったなー。

やっぱり、大学院とか行った方が良いのかなぁ。

まとめて休みとろーかなー。

③敬語について

敬語というのは自分に災いをもたらすかもしれないもの、権力をもつもの、と関係しないではいられない局面で、身体をよじって、相手からの直接攻撃をやり過ごすための生存戦略のことだ。

これも超納得してしまった。

学生時代、ものすごく敬語を使うのが嫌な時期があった。

先輩にも後輩にもタメ口が一番良い関係を気付けると思っていたから。

それも当然だ。

彼らは自分の生殺与奪権を持っていないし、関係なければ、話さなければ良いだけだったんだから。

でも、今は違う。

上司、先輩は自分を窮地へ追い込むことができる。悪い査定をすることもできるし、周りと結託して仕事をできなくすることもできる。

こんな連中と本音で付き合おうなんて無理だ、そう直感的に感じていた。

敬語でしか喋りたくないし、自分の話もしたくないのはそういう訳だ。

全的に非常に読みやすいし、おっと思う文句なんかもたくさんあった。

ちょっと、理屈っぽい話を聞きたい時にはやっぱり内田樹先生の本が丁度良い。

次も内田樹先生の本を読む予定。

しばらく小説が続いたから、ちょっとアカデミックな本を読む時期に入るよー。