「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

君がオヤジになる前に

君がオヤジになる前に/堀江 貴文
¥1,260
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堀江貴文の新刊。

オヤジ化しないために、どうしたらいいかという指南書にしようというコンセプトから始まった本なのかもしれないけども、内容は、オヤジ化を避ける堀江貴文の人生観が主体となっている。

オヤジ化とは不満だらけの現状に対して何の抵抗もしない人、思考停止している人をさすという。

向上心がないから、顔も覇気がなくなるし、見た目も気にしない、汚いカッコに1000円カット。

愚痴ばかり言って何もしない、みたいな。

そういえば自分も私服なんて土日しか着ないからって最近、全然服買ってなかった。仕事してもオッサンしかいないんだからカッコつける必要もないか、と思って安い床屋行ってた。

この定義から行けば、オヤジ化してたかもしれないなぁ。

堀江貴文はこの本で、「情報を得て、思考し続ける」重要性を何度も強調する。思考しつづけないと新しい扉は開けないし、楽しい人生も見つからないと。

それを実行し続けた堀江貴文の人生は確かに一般人とは圧倒的に経験が違う。突き抜けている。

でも、堀江貴文がどこまでも堀江貴文である所以は、自己中心的思考パターンにあるようだ。これは批判でもなんでもなくて、彼自身が言っていることだ。成功のために家族も友達も切ってきたと。さらに、自己中心的に生きる合理性を論理的に証明しようともしている。人生は自分のモノ以外のナニモノでもないのだから、他人に同情して生きている場合じゃない、論理的にはその通りだと思う。

本書の内容はほとんどが「俺はこうやる、だってこうだから」と彼の生き方の正当性の主張だ。

「テレビは無駄な情報の垂れ流し、取捨選択できるネットの方が何百倍も効率的!」という割には「毎週ヒットチャートくらいチェックして歌えるようにしないと感性が鈍る」という。

テレビがくだらないのだって現代の感性の反映なのだから、同じ理屈で観る必要がある、とも言える。

「食事は人生の根幹なのだから料理くらい自分でしないと」と言いながら「洗濯は全く生産性のない無駄な作業」という主張も同様だ。

「衣食住の衣くらい自分で管理できなくては。毎日自分が着た服を畳んでタンスに戻すことがファッションだ」くらい言ってもいい。

自分の好きなことを主張していく本なのだ。

でも、実はこの本の面白いところは、この生き方が正しいんだ!だってこうだろう!という強気な堀江の中に、たまに「他の生き方をしていれば、今までなかった幸福があったのかなぁ」と少し弱気な姿を垣間見せるところにある。実はものすごく不安なのじゃないか、と新しい一面が見られた気がした。

そして一番象徴的なのは「死への恐怖」が異常なまでに強いことである。

彼が「死」に対してものすごく恐怖心を抱いているのは、その生き方が故であると思う。

つまり、自己中心主義、徹底的合理主義。

合理的に考えれば「死」は圧倒的に怖い存在である。

なぜならそこは合理性が介在しえない境界だからだ。

合理性とは現在の快楽をどう最大化するか、その最短距離をしめすバロメーターである。

死の向こうには合理性は存在しないのだ。

だから、人は合理性の向こうの信仰を生み出したのではなかったか。

根拠も、思考もない、神への神からの無償の愛情を生み出す信仰を。

死の恐怖からの解放で余裕が生まれる。そこから合理性から解き放たれる。

合理性から離れたところから他者への愛情が生まれる。

愛情とは反合理、思考停止を基盤として誕生する。

だから、彼には生まれない。

そして、死の恐怖からは絶対に逃れられない。

でも、それが堀江貴文なのである。

そうでないと堀江貴文でありつづけられないのである。

僕は最近、ものすごく堀江貴文に注目している。

いま、観てて一番面白い。

また何かする。

間違いなく天才だから。

そしてすごく不器用な、孤独な天才だから。