「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

なぜ私だけが苦しむのか/H.S.クシュナー

新婚旅行のハワイ滞在中に読んだ本書。普通なら人生最高の瞬間と言って良い新婚旅行に、しかもハワイで、この本を手に取っている私の心境は容易に察せられると思いますが、そのことはひとまず置いておきます。

この本のメインテーマはタイトル通り。もっと丁寧にいうと「神が作り賜うた完璧なこの世界で、取り立てて悪人でもない私が、なぜこんなにも大きな不幸にみまわれるのか、他の悪人は大きな不幸なく暮らしているのにもかかわらず」という誰もが感じたことがあるであろう不満と疑問に応える本です。

一見、仏教徒からすれば「諸行無常」だよ、神の存在を信じていない人からすれば、「人生そんなもんだよ」の一言で済んでしまう悩みかもしれません。でも実際に、自分だけに理不尽な不幸がふりかかったら、「なぜ私だけ」と思ってしまうのではないでしょうか。(私なんてスピード違反でつかっただけでも思いますから)

神の存在を前提にするあまり、論理的な説明がつかず、もがき苦しみ抜いたラビ、クシュナー。彼が神を裏切らず、人生を諦めずに、辿り着いた結論は、宗教に興味がない人にも生きるヒントを与えてくれるはずです。

あなたが不幸に見舞われた時、「なぜ私だけが苦しむのだ」と不満に思うのは、神を前提とする世界解釈で矛盾が生まれるためだとクシュナーは喝破します。その世界解釈は下記三つを前提としています。

A 神は全能であり、この世の物事は全て神の管理下にある B 神は正義であり公平である、よって善人は栄え、悪人は滅びる C あなたは善人である

この三つの命題が全て正しければ、あなたは不幸に見舞われることはありません。だってあなたは善人であるから、神の恩寵を受けるはず、神は全能であるから、一切の取りこぼしや間違いは起こさないはず。でも悲しいかな、あなたは絶対に不幸に見舞われます。愛する人から裏切られるし、病気によって健康を害するし、事故に巻き込まれるし、天災によって故郷を失くすでしょう。それは何の脈絡も因果もない、何の比喩でも教育的効果を狙ったものでもない不幸です。純然たる喪失・破壊・失望を伴った大きな不幸なのです。

あなたに不幸が訪れたのだとしたら、この三つの命題のどれかが間違っていると言えるのです。

あるひとはCが間違っていると言うでしょう。「あなたが事故に巻き込まれたのは、あなたの普段の行いが悪いからですよ」「あなたの両親がガンでなくなったのは、家族で宗教行事をさぼったからですよ」と。この世界解釈では、神は引き続き全能であり、善人は栄え、悪人は滅びる、素晴らしい世界のままです。あなたが不幸になったのは、あなた自身の悪行でせいであり、この世界や神が悪いわけではない。第三者からすると、この解釈が一番心理負荷が軽いし、心地よいでしょう。この解釈をするひとは今まで生きてきた世界を全く汚すことなく生き続けられるのですから。でも、実際に不幸に見舞われた本人はそんな風には考えられません。「たしかに善人と言い切れるほどの人間ではないかもしれない、でもこんなに残酷な目に会うほど悪行はしていない」多くのひとはそう思うはずです。自身の幼い子供を病気で失ったクシュナーは当然この解釈を退けます。

あるひとはBが間違っていると言うでしょう。「神の真意を人間なんぞが理解できるはずがない」と。善人であるあなたやそれほどの悪人でもない私にも不幸や苦しみはたしかにやってくる。ただ、神は全能に違いない。ならば神は常に我々の理解できる形でこの世界を律しているわけではないのだ、全ては神の思し召し、無知蒙昧な人間はただそれを受け入れるしかないのだ。神の御前でひれふせ、人間どもよ、という訳です。クシュナーはこの意見にも与しません。自身の、いや関わってきたひと全ての愛の結晶である我が子の残酷な運命は、どうやっても神のご意志とは理解できなかったからです。

凡人ならここで神と決別してしまえと思うでしょうが、ここからがクシュナーの真骨頂です。彼はAを、つまり神の全能性を否定したのです。残酷な運命を強いられた息子は間違いなく人々に幸せをもたらした善人であったし、自分もとりたてて悪人だったとは思えない。神はいつでも慈悲深く、善を助け、悪をくじく存在であると確信している。ならば「神はこの世の物事を全て把握し、コントロールされているわけではない」と理解するしかないのです。病気は神の知らないところで発生するし、交通事故や天災は神でさえも防ぐことはできない。善人への不幸は、何の因果も脈絡も目的もなく乱発する。それはこの世の仕組みで、神でさえもどうすることができない。「全能ではない存在を果たして神と呼べるのか、もうそれは神の否定じゃないか」と人々は言うでしょう。いや違う、とクシュナーは言う。

愛するひとを病魔で失い、残虐な暴力が身に降りかかり、災害が故郷を破壊し、今まで積み上げてきたものが一瞬で消えさってしまうこの世界。あらゆる不幸や困難は何の脈略もなく善人を飲み込んでいきます。それは確かにその通り。この世界は残酷で儚く脆い。だが、”それでも”あなたはこの世界を愛することができるし、今までも歩いてきた、これからだって何度でも立ち上がって歩いていけるだろう。あなたのその強さと優しさ、その勇気と希望の源泉が”奇跡”でなくて何であろう、”神”でなくて何であろう。この世界を愛するあなたのそばにきっと神は寄り添ってくれている、そうクシュナーは言うのです。

教会のろうそくは消え、 夜空の星もまたたかない。 心の灯をともしましょう。 そうすれば、やがて見えてくる・・・。

この本を読んでいるとMr.Childrenの「かぞえうた」や「365日」の詩が思い出されました。人生の儚さと人間の強さを願った力強い歌です。そんなことを思いながらこの本を読み進めると、終盤に、この前の「未完ツアー」で桜井さんがMCで話していた中国の古い話が載っていてビックリしました。「悲しみをまったく味わったことのない家族を探す」お話です。桜井さんもこの本を読んで感銘を受けたのかもしれません。

別に宗教家でもなんでもないですが、この世界を愛し、強く生きていく人に寄り添ってくれる神、を想像すると、少しだけ頼もしい気持ちがしました。自分のそばに神の存在を確信している彼らの様なひとは、きっと強くて優しくて愛に溢れている様な気がします。

人生に苦しんでいる人、ぜひ読んでみてください。この本を読んで必ず何かが変わる訳ではありませんが、世界解釈の一つの可能性を与えてくれる良本だと思います。