「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

考具/加藤昌治

最近、仕事で頭を使うことが多いのです。何も決まったことがない中、0から考え始めなきゃいけない状況に置かれます。

流れ作業で決まったことをテキパキやるのは楽だし、達成感もあるので、昔から、結構好きです。今までの会社人生でも、決められたことを決められた範囲内でやる、ってことが多かったように感じます。

簡単に言うとHowをもとめられる仕事ばかりだったような気がします。Whatはあらかじめ誰かに決められていて、それをどう効率よくやるかが評価軸でした。でも今は違う。Whatを自分で考え出さなきゃいけない。何が問題で、何をしなくちゃならないのか、考えなきゃいけない。これが本当に疲れる。頭のマラソンの様な作業です。

なぜWhatを考えることが疲れるのか。それは思考が限定されないからだと思うのです。頭の中では何処へでもいける、何だってできる、だから思考には果てがない。広大な思考の大地を探索し回って、いろんな可能性の種を見つけて、気がづいたら自分がどこにいるのか分からない。

しかも無限にある前提条件の中で、自分の価値観で数々の変数を埋めて結果を想定しないといけません。その変数の数値が少し違えば、結果は180度違ってしまうことがある。もはや、価値観の話なので議論しても仕方がないってことが良くあります。

それでも考えて、企画して、ぶつけなくてならない。これが大変だ、本当に。

この本は「考えるための道具」を紹介した本です。厳密に言うと「発想するための道具」と言った方が良いかもしれません。アイデアとは既存のものの組み替えである、というのは金言ですね。

一方で、相手の話している内容が自分の問題意識の中のどこにマッピングされるのか、を捉えることも大変重要だと最近思い知りました。放っておくと議論は様々な方向に拡散します。別に拡散しても良い。思わぬところに解決策が落ちているかもしれないのだから。でも、今まで出された課題なり解決策がそれぞれどう関係しているのかは即座に把握できる方が良いに決まっている。ただ、これがめちゃくちゃ難しい。特に自分の問題意識がなんなのか不明瞭な議論になってくると特に。(当たり前だ最初から自分がどこにいるのか分からないのに地図がかけるか)

どの本にもどうしたら良いのか書いてない。今自分に足りないのが、論理力なのか、空間把握能力なのか、想像力なのかが分からない。ただ他者の思考の茫洋さに唖然とするしかない。他者の思考の地平と自分の地平を合わせることが一番難しいのかもしれない。議論が成り立つということは、問題意識が共有されているということだ。すると、本当はその時点で既に問題解決の入り口に立っているのかもしれない。我々が最初に目指すべきは、議論を成立させる地平に立つことだ。