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「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

心を蝕む悪魔の書『ドリアン・グレイの肖像』/オスカー・ワイルド

呪いの書と言って良いかもしれません。人の生命力を削ぎ、邪念を亢進する言葉を呪いの言葉というのなら、この本は呪いの言葉が綴られた呪いの書です。

悪い本とか、読むべきでない、と言っているのではありません。むしろ全人類必読の書と言って良いほどです。登場人物も世界観もストーリー展開も完璧過ぎる。一度ページを開けば、何も手につかなくなるほどの求心力。

でも、素晴らしすぎるがゆえに、世の中の真実を穿っているがゆえに、読むのが辛い・・・。この悲劇を読み終えても、誰も主人公ドリアンを責めることが出来ない、誰もヘンリー卿の快楽主義に抗うことが出来ない。とにかく世界に没入し、踊らされ、溺れさせられ、魂を奪われていく、そんな本です。

もっと若い頃に読んでいたら、ヘンリー卿に心酔しきって抜け出せなかったかもしれない。とにかくヘンリー卿が悪魔的に人を魅了します。中でも心に突き刺さって抜けない珠玉の言葉を書き留めておきます。

ヘンリー卿が初めてドリアン・グレイと出会い。快楽主義的な彼の生き方をドリアンに植え付けることになったセリフ。

P49 君はすばらしく美しい顔をしている、グレイさん。顔をしかめなくていい。本当なんだから。そして美は才能の一つの形なのだ。実際は才能よりも尊いものだ。なぜなら美は何の説明も必要としない。陽の光や春や、我々が月と呼んでいるあの銀色の貝殻が暗い水に落とす影のように、この世の素晴らしき現実なんだ。美を疑うことはできない。美は天与の支配力を持っている。美は人を支配者にするのだ。笑ったね?ほう!美を失ったら君は笑ってなどいないだろう・・・。美など表面的なものにすぎないというものもいる。そうなのかもしれない。しかし思考よりは表面的ではない。僕にとって、美は驚異中の驚異だ。ものごとを外見で判断しないものは底の浅い人間だけだよ。世界の本当の神秘は目に見えないものではない。目に見えるものなのだ。

作者の言葉

P76 人に影響を与えるという行為は恐ろしいほど人の心をとりこにする。これに勝るものは他にはない。自分の説を美しい人間に投影し、しばらくそこにとどまらせる。自分自身の知的な意見が、若さと情熱という音楽に乗ってこだましてくるのを聞くために。自分の気質をまるで不思議な液体かめずらしい香水のように他人の気質に染み入らせるために。そこには真の喜びがある。これこそ現代のような時代に残された最上の喜びかもしれない。

ヘンリー卿がドリアンの結婚に賛成するときのセリフ。なんたる皮肉!

P148 結婚の本当のデメリットは人を利己的でなくすることだ。利己的でない人間はつまらない。個性を欠いているんだよ。それでも結婚がさらに複雑にする要素もある。ある種の自己中心癖は失わず、さらに多くの自己中心癖をつけくわえていくのだ。自分以外の人生も背負うことになる。前よりしっかりせねばならなくなるが、しっかりすることこそ人間が存在する目的なのだ。それに全ての経験に価値があるが、結婚について人が何を言っても、それは一つの経験だ。ドリアングレイはこの少女を妻にして、6ヶ月後は情熱的に彼女を崇拝し、それから突然他の人に魅了されて欲しい、僕はそう思う。彼は素晴らしい研究対象になるだろう。

ヘンリー卿、落ち込んでいるドリアンへ

P195 女が男を改心させられる手段が一つだけあるとしたら、それはその男を完全に退屈させ、人生の楽しみへのあらゆる関心をなくさせることだ。もしあの少女と結婚していたら、君は不幸になっていただろう。もちろん君は彼女に優しく接していただろう。何の関心もない相手には、人はいつも優しくなれるものだから。しかし彼女はきっと、君が自分に全く関心を持っていないことにすぐ気付いただろう。そして自分の夫にそれを発見した女というものは非常にだらしなくなるか、他の女の夫が買ってくれる最新流行の帽子をかぶるか、どちらかになるよ。
P197 人生において現実の悲劇はむき出しの暴力や、完全に支離滅裂な言葉や完全なる思考の欠如や、完全なるスタイルのなさに傷つけられるというような非芸術的なやり方で起こる。そういう悲劇が与える影響は粗野な行動が与える影響とおなじだ。我々はストレートな野蛮さを感じ、それに不快感を抱くのだ。しかしときに我々の人生に美という芸術的要素をもった悲劇が起こることもある。中略、人は人生の彩りを吸収するのはいい、しかし細かいことを思い出してはいけない。詳細はいつも卑俗なものだ。

すっかりヘンリー卿の考えを刷り込まれているドリアンの言葉

P211 一つの感情を拭い去るのに一年もかかるのはあさはかは人間だけだ。自分を熟知しているものは喜びを想像するのと同じくらい簡単に悲しみを終わらせることができるんだ。僕は感情のいいなりになりたくない。感情を利用し、楽しみを支配したいんだ。

ヘンリー卿と公爵夫人の会話

P385 「知ってしまったら終わりだ。確信のなさが人を魅了する。霧がものを美しく見せるように」「道に迷ってしまうかもしれないわ」「全ての道は同じところに通じているんだよ、グラディス」「それはどんなところ?」「幻滅だ。」

引用しているだけでヘンリー卿の毒気に心が蝕まれていくのが分かります。何なのだこの厭世感は、倦怠感は、虚無感は。でも、真実すぎるがゆえに、聞くものの生きる気力を削いでゆく数々の呪いの言葉たち・・・。ヘンリー卿の悪魔的魅力が少しでも伝わったでしょうか。悪魔の世界に引き摺り込まれたくなければ決してこの本を手に取らないでください。少しの心の隙にヘンリー卿が潜り込んで、あなたの心をかき乱すでしょう。ご注意を。