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「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

ハイデガー入門/細川亮一

人文科学

大学3年生の時に買って、2〜3回読もうとして挫折した本です。入門書なのに…。 ハイデガーは本当に難しい。独特の術語が多過ぎて、日本語で読もうとすると逆に混乱するような気がします。原点を読む勇気もないですが…。

p62 「存在は、存在者を存在者として規定するもの、存在者がその都度それに向けて理解されているそれである。」

つまり、「存在」とは存在者を存在者たらしめている「それ」であると言っています。卵かけごはんに卵がはいっていないと卵かけごはんじゃないように、存在者には”存在”という要素が入っていないと存在者ではないと。

そこから存在の”意味”論へと進んでいきます。

p75意味とは「そこから或るものが或るものとして理解される企投のWoraufhin」である。中略、Woraufhinは「それへ向けてのそれ」である

企投は英語のprojectなので投影すると訳すと、”意味とはそこから或るものが或るものとして理解される投影されたそれへ向けてのそれである”となります。つまり、存在の意味とは、存在を存在として理解するために投影された投影面であると。”それへ向けてのそれ”なんてめちゃくちゃな言葉ですが、投影された壁、という風に捉えれば良いようです。

私がこの本でわかったことは、 存在者と存在は別物。存在が存在者を存在者足らしめている要素。 存在とは”存在の意味”から規定される。”存在の意味”とは、存在という映像を映し出す壁のことである。 そして、存在の意味は”時間性”から経験される。 ってことくらいでしょうか。間違ってるかもしれないし、単純に捉え過ぎて大事なところを見落としているかもしれません。

しかも、肝心の存在と”時間”の関連が何度読んでも分からない。存在を捉えうる唯一の存在者、現存在は常に時間性に囚われているから?全然違う気がしますが、もう頭痛いので読むの辞めます。7年前よりは少し理解が進んだので、また10年後くらいに挑戦します。