「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

一神教と国家/内田樹、中田孝

内田先生とムスリムで元同志社大学教授の中田孝さんの対談本です。内田先生の専攻はレヴィナスなのでユダヤ教について一定の知識はお持ちです。そこでムスリムの中田さんとユダヤ教の哲学者を師と仰ぐ内田先生が、イスラームユダヤ教キリスト教について意見を交換しようというのがこの本の趣旨です。

この本を読んで一番、勉強になったのは、なぜイスラームは連携しないのか?という問いの立て方です。普段、私は共同体を大陸や国家のくくりで観ることはあっても、宗教単位で考えたことがなかったのです。キリスト教国家はヨーロッパからアメリカまで広大に広がっており、当たり前の様に別々の領地国家を形成しています。それを前提として世界を見渡しても、上記のような問いは出てこない。イスラームがどんな宗教なのかを考えれば当然のように発せられる疑問だったのに。

イスラーム聖典コーランアラビア語でしか存在しないし、生活様式もかなりきっちり固定してあります。(何を食べて良いとか、ダメとか。1日何回どの方向にお祈りするとか)。さらには道徳観や法の実践まで網羅されているのがコーランであり、唯一絶対の神アッラーの前には聖職者も上位者もおらず、イスラームの中では誰もがイーブンな世界に生きているはずです。

なのに、サウジアラビアもイランもイラクパキスタンインドネシアもマレーシアも国家としてまだ存在している。これがおかしいというのです。言語も同じ、食生活も同じ、道徳観も法も同じ、同一の神を畏れている、にも関わらず連帯しない不思議。

この謎から本書は出発しますが、なぜそうのような世界になったのかに関しても『既得権益にしがみついている人がいるから』という簡単な答えしか出さないのが残念でした。さらに、対応策として出されたカリフ制も何ら具体性を持つものではなく只の妄想のような話にしか聞こえませんでした。ごめんなさい。

この本を読んでも、イスラームに関する峻烈なイメージが払拭される訳ではありません。むしろユダヤ教キリスト教に対する攻撃性が中田氏から透けて見えて、余計に怖くなりました。

上記の問い自体は非常に面白く、一冊の本では語り尽くせないほどの問題を含んでいるかと思います。イスラームが連帯した時の世界を想像してみると・・・超大国アメリカの覇権が揺るぐかもしれませんね。