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「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

里山資本主義/藻谷浩介、NHK広島取材班

ビジネス本

新書『デフレの正体』で一躍脚光を浴びた藻谷浩介さんの最新本です。前作では、不景気の正体は生産労働人口の低下であることを指摘し、その解決の為には女性を活用すべきという非常にクリアな論旨を展開しました。

この本は、グローバル時代におけるマネー資本主義の歪みをサポートする考え方として、田舎(里山)の特性を生かした里山資本主義を普及させようと言う内容です。

NHK広島が中国地方の里山で成功している人達を取材し、その事例を紹介します。主には3つ。木材チップを利用したペレットストーブ事業耕作放棄地を利用した農業とその作物を利用したレストラン事業、空き家を利用したデイサービス事業。どれも効率的に早く大きくを目指すグローバル資本主義とは異なった理念で運用されており、既存のシステムでは手の届かない隙間をうめる役割があるとして、誉め称えています。

巷では、さんざん読まれて批判にさらされているようですが、確かに、たいした内容ではありませんでした。何千万人いる中の、ほんの数人の成功事例を取り上げて、里山には可能性がある、と言われてもまったくピンとこないのです。羽生くんが金メダルとったからって、『今の若者は謙虚で努力家で才能を持ち合わせている』と言われても全くピンとこないのと同じです。

私は社会人1、2年を愛知県東部の新城市北設楽郡で過ごし、そこの住民達と毎日話をし、飯を食い、商売をしていました。若者はほとんどいないし、大きな産業は建設業くらいしかない典型的な過疎の町です。美しい新緑もないし、魅力的な名産品もないし、ご飯もおいしくないし、交通の便も悪い。とにかく私は田舎が嫌いになりました。(田舎の人間が嫌いになった訳ではなく、そこを取り巻く環境全てが嫌いなのです)そんな私が里山資本主義について思ったことを相当の悪意を持って述べます。

まず、ペレットストーブに関してツッコむと、林業なんて、すべて補助金でギリギリ食べさせてもらっているような産業です。本にも書いてありますが、この事例は相当大規模な材木会社が”余って廃棄していた”チップをペレットにしたから付加価値が生まれたのであって、ほそぼそとやっている99%の材木業者にはあてはまりません。私が仕事をしていた愛知県山間部から静岡県山間部でも、ペレットを販売しようとしていた業者がいましたがまったく普及していませんでした。日本の山は戦後に植林した杉の木を放置したままにしたせいで死にかけています。間伐材を使うという事業が採算にあわないので、木は野放しに乱立し、何も活用出来ない細い杉の木だらけになっているのです。

都会から移住してきた若者が耕作放棄地で農業を始める話も、そんなにうまくいくのか眉唾ものです。都会では何を習うにもお金がかかるが、里山には農業の師匠が周りにいくらでもいて丁寧に教えてくれる?何を寝ぼけたことをいっているのでしょうか。都会から移住してきた若い女の子に、おっさんが下心をもって親切にすることはあっても、善意で教えてくれる人ばかりではありません。お金は取らなくても、プライベートな領域にずけずけと侵入されるリスクはあります。田舎の人の会話なんて『隣町の○○さんの息子さんが夜10時に出て行ったきり、帰ってこなかったらしいよ、何してるんでしょう』レベルの話が9割なんですから。

空き家を利用したデイサービスも、わざわざ本に載せるほどの話ではなく、ちょっとした余り物を利用した程度のアイデア話です。レモンで電子レンジを掃除すると綺麗になる、程度の話です。

この三つの事例を里山資本主義の成功例として挙げているけども、つきつめてみれば、結局はいかに田舎をマッチョな資本主義に通用するレベルに持っていけるかという話になっています。より効率的に、スマートに、豊かに暮らしていくことが究極目標になっているところがグローバル資本主義里山資本主義も双生児のように似ているのです。本当に田舎に住んでいる人は、効率化もスマートさも豊かさも求めていません。ただあるがままに日々が流れていくのを何となく眺めているそんな人達が99%なのです。誰もが豊かに便利に生きていくべきだと言うその発想がすでに20世紀的で、おしつけがましいのです。

地域復権とか、田舎を再生させよう、と息巻いている人って、ほとんどが東京都や首都圏を中心に生活している(もしくはしていた)人なんですよね。藻谷さんは東京大学を出て日本政策投資銀行にいた人だし、NHK広島の人はもともとNHKの中心で大きな仕事をまかされていた人のようです、そういう人が、東京に辟易し、東京の求心力復活を諦めた時に目を向けたのが過疎化した地方、それが最近の『地域復興論』のような気がするのです。

地方で生まれ、地方で育った人の99%は、里山の復権なんて求めていないのです。若者が帰ってきて栄えて欲しいとも思ってないし、地域の繋がりをもっと強くしたいなんて望んじゃいない。人が増えたら、うるさくなるし、よそ者はルールを知らないから一緒に暮らしたくない。今まで通り、整骨院通って、近所の人と野菜交換して、近所の人の悪口言って過ごすことで充分満足しているのです。いや満足さえしていない。でも現状維持を望んで、極端に変化を嫌っている。彼らが東京的なものを求める時にはそちらに出向けば良いのであって、地方が東京化したいなんて全く望んでいない。

地方民が望んでいないとしたら…地方の東京化を望んでいるのは、他でもない東京民なのです。満員電車の通勤や、原発事故の停電に辟易し、日本のどこかに楽園がないかと夢想しているサラリーマンが、日本の田舎に、『となりのトトロ』的な自分の理想を投影したのが、この里山資本主義です。

本当はそこにはトトロもいないし、親切なおじいさん、おばあさんも居ません。陽の光の恵みも、四季折々の花鳥風月の美しさも大地の実りも、全てがあたりまえにあるのはアニメの中だけです。さびれた地方では、晴れる日が逆に珍しいほどの町もあるし、野放しにされた山々は細くてみすぼらしい杉の木が乱立しているだけ、くさくて肉がかちかちの猪が田畑を踏み荒らし、やせ細った大地から美味しい作物がとれるわけでもない。そこにあるのは、どろどろした人間関係とイジメと過酷な自然環境、台風、土砂崩れ、大雪、家畜から発せられる悪臭だけです。残念だけど、それが日本の里山の原風景なんだと私は思う。少なくとも私の目にはそう映った。

これからは地方の時代だなんて、あまちゃんの春子さんの時代から言われていたのです、でも成らなかった。なぜか?それをまずは検証した方が良いと思う。人口が増え、経済成長している時代でも、地方が置いていかれてしまった。もうそれは地方が望まなかったとしか考えられない。地方が里山資本主義を望まないかぎり、里山資本主義は根付かない。東京が地方に東京化を押し付けても、地方は絶対に応えてくれないだろう。いままで地方を置き去りにしてグローバル資本主義の物質的繁栄を謳歌しておいて、いまさら地方の空気に戻りたいなんでどの口が言うのか。

地方に逃げるのではなく、あなたがいるその町を住みやすくすることを考えましょうよ。東京は原発リスクがあるから地方に行く?違う。だったら原発を廃止する運動をいまそこでやれば良い。地方は地域の繋がりが強いからいざという時に頼りになる?いまそこで隣の住民との関係を築けない人が田舎で良質な人間関係を作れるはずがない。地方民のよそ者への風当たりは東京のそれの比じゃない。だったら町内会に顔を出すとか、多く作り過ぎたお惣菜をお裾分けするとか、そういうところから始めて見ればいいじゃない?

でも、やらないでしょ?やりたくないでしょ?億劫だから。生活を変えるのが大変だから。 それと同じ。地方の人も、都会の人を受け入れませんよ、億劫だから。生活を変えるのは大変だから。

はっきり言って、この本は都落ちした元エリートNHK社員が、負け惜しみにかいた幻想絵本です。東京を羨みながら、田舎に夢を投影しようとしているだけです。地方民からしたら良い迷惑でしょう。

本当に里山に未来があると信じるなら、あなたこそNHKを捨て、里山の人間関係の中で農業をしてみれば良い。国に守られながら年収1000万貰って、地方の時代だって言っても何の説得力もない。晴れの日が少ない山間部でたいした名産品もない山の中、猪と戦いながら、しょうもない椎茸を作って暮らしみた、っていう本だったら、めちゃくちゃ面白いでしょう。次回作は、そういう内容にして貰いたいです。