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「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

『大衆の反逆』/オルテガ  への反逆

人文系、とくに政治系の学部学科を出た人なら、誰しも一度は耳にしたことがあるであろうオルテガの『大衆の反逆』を読みました。内田先生の『知に働けば蔵が建つ』に取り上げられていて、興味を持ち、購入した本でした。

有名な本ですが、今現在でも汎用可能な思想を語っているかと言うと、そうでもないかもしれません。ただし、非常に怒気のこもった切れ味鋭い文章のため、読みやすいです。この本は1929年に書かれた書物ながら、真を穿っている部分もあれば、古臭いと感じられる部分もあります。おそらく、この本が”EU誕生"の歴史的必然を予言していたところに、最も大きな学問的価値があったように思います。なので、EU誕生前後は、まさにオルテガの論理が、国際政治の動きとリンクし、もっとも学問的な価値が高い時代だったのでしょう。

でも、今はその時代を過ぎ、EUの求心力の底が見え始めた時です。『大衆の反逆』が見据えた未来のその先を考える書物としては、少し物足りない本になってしまうのも仕方ありません。それでも80年以上、風雪に耐え、読み次がれた古典であることには一定の敬意を払うべきでしょう。 以下、興味深い箇所を抜粋します。

p9 大衆とは、みずからを特別な理由によって、よいとも悪いとも評価しようとせず、自分がみんなと同じだと感ずる事に、いっこうに苦痛を覚えず、他人と自分が同一であると感じてかえっていい気持ちになる、そのような人々全部である。 p13 現時の特徴は、凡庸な精神が、自己の凡庸であることを承知の上で、大胆にも凡庸なる者の権利を確認し、これをあらゆる場所におしつけようとする点にある。

これがオルテガの言う”大衆”の特徴です。偉人による支配から、大衆による支配へ。凡庸であることに恥ずかしさを覚えるどころか、それを誇らしげに振る舞うところに、オルテガは怒りを感じています。偉人達は平均人達を含めて”我々”として統一体を形成させることが出来たが、現時の”我々”とはただ単に凡庸な大衆のみを指しているだと言います。大衆のこの粗暴な支配は、古代の帝国の破滅の状況と酷似しているとして、警鐘を鳴らすのです。これを読んでいる"私”はまぎれもなくオルテガの憎むべき”大衆”の一人です。

p47 万物を支配しているが、自己の支配者ではない。自分の多さの中で、途方に暮れている。結局、現代の世界は、かつてないほどの資産、知識、技術を持っているのに、かつてなかったほど不幸な時代である。

『3丁目の夕日』よりもはるか以前に書かれた書物に、こんな言説があったのです。今でも同じ事が、本や新聞やテレビで叫ばれていますが、オルテガによれば、モノに覆われて人々が幸福を失ったのは、こんなにも以前から、ということになります。技術は進歩し、資産は増大し、新たな土地は開拓され、明日は今日よりもよくなり続けるだろうという信仰が人々に絶対的な安心感を付与してしまった。ここに行き着くまでの賢人の努力や功績に対して、涙して感謝するものはいないし、人々は自然からあるかのごとく、過去の生活の技術に下支えられ、与えられる資本に浴する。自分以外の人間への感謝は減る一方だが、技術によって大量生産される欲望には限りがない。欲望が無限に亢進した大衆達が行き着く行動は、己の社会基盤を破壊する”直接行動”だけである。

p88 文明とは力を最後の理性に還元する試み以外のなにものでもない。

直接行動=”暴力”による社会介入は大衆の唯一の行動規範であるが、それは文明とはもっとも遠くにある理念である、とオルテガは言います。

p133 ヨーロッパの近代技術だけが科学に根ざしているのであって、この基盤から、無際限の進歩の可能性と言う特殊な性格が生まれる。〜中略〜この驚くべき西欧の技術が、ヨーロッパ種族の驚くべき繁殖を可能にした。略、近代技術が大衆と言う言葉の質的な意味、つまり悪い意味においても、大衆的人間の存在に責任がある事を照明しようと意図したのである。

この辺から、ヨーロッパ偏重な思想が露になってきます。ヨーロッパの近代合理性が万能であり、この思想が世界を支配すべきである、という論旨とも取れるものです。

p140 科学者、つまり大衆的人間とまったく逆であるはずの人間の場合ですら、今述べた様に、かれは生のほとんどあらゆる領域において、しかるべき資格もなく、大衆的人間の様に行動するわけである。

激高しているオルテガからすると、科学者ですら大衆なのです。専門領域を深めれば深めるほど、その他の領域への知見が乏しくなり、凡庸に近づきます。科学が扱う範囲が広がれば広がるほど、深ければ深いほど、分野横断的な理念の体系が確立されにくくなり、科学者を凡庸にしていく訳です。

p186 現在までヨーロッパによって行われてきた世界の支配についての疑念が、若くしてまだ先史時代にある民族を除く他の民族を退廃させているということは重大である。〜中略〜本来ヨーロッパに内在する支配の夢と、その夢によって鼓舞された責任感に基づく規律だけが、西欧の魂を緊張状態に保つことができる。科学、芸術、技術、その他の一切は、支配者としての自覚から生まれた緊張した空気を吸って生きているのである。

オルテガ氏はヨーロッパによる支配を望んでいる訳ではない、と前置きしながら、ヨーロッパ以外の支配を認めない。そして、上記の論旨を述べた後、ヨーロッパの支配なくしては”全世界が道徳的無気力、知的不妊、全体的な野蛮状態に陥る”とまで言い切っている。この本が書かれた十数年後、第二次世界大戦において、道徳が消滅する時空を作り出したのはまぎれもないヨーロッパの近代合理性の結晶であったのは、ここで触れるまでもありません。あまりにオルテガの論旨は楽観的で単純であり、文明は単線で進歩するべきで大きな物語を紡いでいく、という幻想に支えられいるのかもしれません。

ヨーロッパによる世界支配が、”有無を言わさず優れていたから”、という単純な理屈ではない説明が、最近のヒット本にありましたね。今度はそれを読んでみます。