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「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

私による『内田樹による内田樹/内田樹』

内田先生が今までに刊行した本をご自身で紹介する本です。その時にどんな気持ちで書いたか、今ではどんな意味を持っているのかたっぷり文字数を使っての紹介で、もはや一冊の内容を含んだ作品になっています。これが非常に面白い。

p75 彼らの人物判断はその人がどれほど整合的に綱領を語っているかとか、どれほど知識があるかと言うことではなく、その人が「信ずるに足るかどうか」だけを基準に下されました。

これは坂本龍馬勝海舟が幕末期にどのように人物を評価していたか、というお話の中での分析です。なるほど、会社にももの凄い頭は切れるけど、あまりに論理的過ぎて感情を傷つけて厭わない人や、自分が優秀であることをメタメッセージとして発信することを最も優先している人、がおります。彼らは非常に優秀なんだけど、なんだか嫌な感じがする。会社に利益を出しているかもしれないけど、一緒に生きていたくはないし、彼らの人生には出来るだけ関わりたくないと思います。その反対に、なんだかゆったりとして頼りない時もあるけど、この人とは一緒に仕事をしたいな、と思える人がいます。これはその人がメタメッセージとして”私の声が届いていますか”とか”私の意見を聞いて気分を害されていませんか”という内容を第一義的に発信しているからなのです。論理を貫いたり、自分の知識をひけらかすよりも、相手の気持ちを慮ることに多くの心遣いを示せる人、そんな人に心魅かれてしまいます。

p77 「なぜ勉強しなければいけないのか?」という問を子供達はよく親や教師に向けます。中略、こういう場合にぺらぺらと「子供でもわかる理屈」を述べ立てて、子供をごまかす人間がいます。いますどころか、いまの日本で教育について語っている人の90%までもがそうです。

本当にそういう人が多い。Twitterとかはてなでも「安定した給料をもらうためだ」とか「人に騙されない様にするためです!」とかクリアカットな解が横溢しています。すると子供も賢いので、条件付きで命令すれば、必ずそれに歯向かう理由を見つけてきます。「僕はお金なんていらない」とか「騙されたっていいもん」とか。だからその問いについては、内田先生のように絶句するか、定言命法として「四の五の言わずに勉強しろ」と一喝するだけで良いのではないか、と思います・・・。自分が子供の頃、どうして勉強しなきゃいけないの?という問いは何度も発したと記憶しています。「これが何の役に立つの?」なんて毎授業言っていたかもしれません。果たして、あの時の勉強が今までにどれだけ役に立ってきたかは分かりませんが、いつどこで役に立つか分からない、ということだけは理解しましたし、役に立とうが立つまいが勉強はそれだけで目的となりうることを今は知っています。もしかしたら、大人が確信をもって「勉強しなさい」と言えない、ことが勉強しない子供たちをつくる元凶なのかもしれません。

p86 教育機会を減らしても構わないと言う人たちのロジックの根本にあるのは、「学校教育の受益者は教育を受ける本人である」という信憑です。

教育機会が減れば、国民の平均学力は下がる、だから大学へ行った人の相対的競争力は上がる。だから、この言説を唱える人は常に強者の側に居て、かつ市民社会の成熟といった大局観を持っていない、と。するどい洞察です。

p118 哲学者の断章を暗記して、会話の中にヘーゲルだカントだというような固有名をちりばめるような知的装飾のために勉強するのなら、そんな教科に緊急性はないとレヴィナスは考えたのでしょう。それより、子供にはもっとすることがある。自分の家庭や自分の職場や自分の住む街ですることがある。学び、働き、家族を養い、近親者を失い、愛したり、憎んだり、信じたり、裏切られたり、戦ったり、許したり、そういう「人間性の修業」を積むことの方が先だろう、と。その現実生活の経験が哲学書を開くことを要請する。人が本当に哲学を必要とするのは、哲学書の行間に自分自身が今日生きる支えとなり、導きとなるようなたしかな叡智を求める時です。テクストにすがりつくように知恵を求める者だけにテクストはその不快意味を開示する。レヴィナスはそう考えているのです。

この箇所は一番、勇気を貰いました。今読んでも全く理解できない哲学書も、時が立ち、社会生活を積み、人間的成熟が果たせれば、自らそのテクストを要請する時がくるのだと、そう言ってくれています。生涯をかけて、一行の深い意味を味わうことが出来る、それが哲学書なんですね。

p201 グローバル化時代とは、誰が世界標準を制定する側に立つのかが問われている時代だということです、それは別に国際競争力をつけてマーケットシェアのトップをとるということを意味するのではありません。学術の世界であれば、その人が際立って汎用性の高い知見を語ると言うことに尽くされます。今世界はどうなっているのかを説明し、できることならあるベき世界のかたちを大胆に指し示すことです。

おっしゃる通り。グローバル人材とは、英語を駆使して、マッキンゼーやグーグルで働く日本人のことを指しているのではなく、世界のルールを制定する知見を創設し、普及する人のことを言うのです。アニメを圧倒的な映画に仕立てた宮崎駿とか、何十カ国で翻訳されて人気を博している村上春樹とか、iPS細胞の可能性を発見した山中教授とか、自分の成果を世界の標準として認めさせられる人材をグローバル人材というのであって、アメリカナイズに規格された世界に入っていくスキルを持った人間のことを指しているのではない、ということ。後者はむしろ、限られた業界の狭い世界にのみ焦点をあてている内向きな人間と言っていいかもしれない。だからグローバル人材の育成に躍起になっている国や教育機関は英語力やプレゼンテーション能力の強化に力を入れるのではなくて、それぞれが興味を持った分野に集中して取り組めるような援護体制を整備して欲しい。お金がなくて大学に行けない高校生(日本の奨学金制度は酷すぎる)、クラスに馴染めないから孤立して自己否定をしてしまっている子供、彼らにそっと手を伸ばしてあげないと。今のこの世界を変える能力と価値観を持っている人は、今のこの世界から馴染めないで、落ちこぼれている人なんだから。

内田先生の本はいつも面白いですが、この本は特に面白かったです。内田先生の哲学のエッセンスが分野横断的に語られているからかもしれません。いろんな分野で、眼から鱗の知見が味わえる、素晴らしい一冊です。

ちなみに誤植が多いそうで、Twitterで直接、内田先生にご連絡したところ、”ありがとうございます”と、ご丁寧に返信を下さいました。