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「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

大人のいない国/内田樹・鷲田清一

内田先生の対談とエッセイが乗っています。これは、と思った箇所を抜粋します。

p24鷲田 会社っていうのは入ったら誰でも出来る仕事しかさせてもらえない。どこの馬の骨だかわからない人に、その人しかできないようなことをさせるなんて、そんなリスキーなこと会社がさせるわけがないって言ってますけどね。でもだからといって、将来ずっと誰にでもできるような仕事しかできないわけではなくて、誰にもできることをこつこつ工夫しながらやっているうちに、これはあいつにしかできないとか、あいつにまかせとけば大丈夫だとか、周囲がみとめるんですよ。

うん、まさにその通り。悩める若手の会社員にぜひ読んで欲しいですね。勇気がわきます。

p163内田 小津安二郎の映画『彼岸花』の冒頭に、佐分利信が結婚式のスピーチをするシーンがあります。あの低い声で「うたた感慨に堪えぬものであります」というような定型句だけで綴られた祝辞を述べるんです。僕、それをみてちょっと感動したんです。定型句だけの祝辞なのに万感がこもっている。中略、できるだけ定型的な祝辞を淡々と言って、それでも行間から万感がにじんでくると言う芸をそろそろ身につけなくちゃと思っているんです。

結婚式やらパーティやらでありきたりなことばかり、レコーダーみたいに喋り続ける人っているじゃないですか。完全に時間の無駄だから辞めて欲しいと思っていました。もっと気の利いたことを言えと、聴衆をうならせるような文句を一つでも言えと。でも、そうじゃない気がしてきました。定型句って、今までに色んな人が人前で喋ってきた内容の中で心に残ったエッセンスだけを綴ったもののはずです。だってそうじゃないと定型として残っていかないから。すると、定型句の起源はおそらく人の心を響かせる様な言葉を紡げる人徳者であり、さらにその素晴らしかったポイントを歴史の中で付け足したり、はがしたり、磨き上げたりして、より洗練されていったものと考えられます。だから本当は、凡人が作ったふざけたエピソード話が、先人の作り上げてきた定型句に叶うはずないのです。もし口に出して空々しく感じられたら、それは口に出した人の経験や感情や人徳が足りないのです。

この話って、音楽に通じるのかもしれないと思いました。いつも似たようなメロディで、どこかで聴いたことのある恋愛の歌詞を載せた歌ばかり作るベテランっているじゃないですか。それは、きっと定型句の境地にいるんだと思います。古臭い在り来たりな歌だけど、その人が奏でれば万感に響くのです。

スピーチも、音楽も、小説も、映画も、本当はみんなこういうものかもしれないですね。