「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

修業論/内田樹

内田先生の新刊、新書です。メディア論や教育論は「街場の」がつくのに、今回はガチの『修業論』です。メディア学や教育学は専門ではないけど、武道は専門だからでしょうか。

本書は4章に分かれています。1、修業論、2、身体と瞑想、3、現代における身体と修業、4、武道家としての坂本龍馬

修業とは”師につき、自分では全く想像の使いない身体運用を可能にしていくダイナミックなプロセスである”というのが一番大きな論旨です。内田先生に師事している人なら、これにピンとくるはずです。これはまさに、いつも内田先生が教育について言っていることそのものです。”教育とはまだ自分の度量衡では計れない知性を身につけるダイナミックなプロセスである”と。

それと印象的だったのが、”生活も武道も終わらない”ということ。学生時代に打ち込んできたものって、必ずリミットが見えていて、そのリミットに向けて身体や知性を最大限に発揮していくものだったような気がするのです。受験勉強の全ては受験当日、問題を解くその瞬間に知性が最大限発揮出来ることだけを目的にしていたのです。だからその問題を解いた瞬間、もうその記憶は劣化していきます。部活もそうです。引退試合の最後の瞬間に最高のパフォーマンスが出せる様に身体や神経をすり減らして頑張っていました。でも、当時はそのリミットがあるから、あんなに無茶な頑張りが効いたのです。

学問もスポーツも本当は一生をかけて継続しなければならないものです。リミットを決めてそこに向けて命をすり減らしていく受験や部活もひと時は良いけど、その後は、一生をかけて知性と身体を磨き上げる必要が人間にはある。

だから、楽しめて生活の中に自然に組み込んでいける学問とスポーツをしよう、と思います。 何度も思っててなかなか出来ないんだけど・・・。

もう一つ、司馬遼太郎がこと剣術に関しては修業を全く論じていない、という指摘は、非常に感心しました。たしかに、その通り。みんな天才として描かれていた気がする。

あと芳賀徹先生の名前が出てて驚きました。大学1年生の時、フランスの詩人、ポール・クローデル没後50年のイベントでお会いして、夜の打ち上げをご一緒させていただきました。その時に、卒論のテーマの案を頂いたのです。

何だか色々繋がっていて面白いですね。(別に繋がってないかw)