「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

本当の大人の作法 価値観再生道場

内田先生、名越康文さん、橋口いくよさんによる鼎談集です。割合的には名越さんが喋っている内容が多い様な気がしました。私は内田先生のファンなので、内田先生の意見を読みたかったのですが、割合はそんなに多くありません。ただ、普段の内田先生の本では触れない様な内容についても、二人からの話題によって内田先生の頭から引き出されたりして、新しい面白さも感じました。

いつも内田先生の語る言葉に大絶賛している私ですが、この本では二つほど、違う意見を持ったので、ここに書き記します。

p67 日本の歌から情景描写が消えた

ここでは日本の歌から固有名詞や地名が消え、さらに自分の心の中ばかり歌う様になったという話になります。でもAKB48の『ポニーテールとシュシュ』は大絶賛というよくわからない流れ。まず、固有名詞や地名が消えたっていうのは誤解だと思います。昔の地名が入った歌というと、サザンやユーミンの代表曲がぱっと思い浮かぶから、そうだったと思っているだけで、最近作られた歌にももちろん固有名詞や地名は出てきます。ぱっと思いつくものだとミスチルの『HappySong』、山崎まさよしの『Onemoretime Onemorechance』、miwaの『めぐろ川』とか。さださんはまだ固有名詞や地名を出して新曲を作りまくってます。割合が減ったというならおそらく原因は二つあって、一つはあらゆる街が都市化してきて、地域特有の情緒がなくなってきたこと。北海道だろうが、京都だろうが、鹿児島だろうが、国道沿いにはすき家があって、青山があって、マクドナルドがあるだけですから。その土地特有の情緒を見つけ出すのにはかなりの労力が必要です。二つ目はアーティストが地名や固有名詞を推すとそれに引っ張られること。サザンは茅ヶ崎を超えて普遍的な地位を手にしましたが、氣志團はどう見ても木更津だし、松山千春は北海道の人というイメージが離れない。それは地元の人には心地よく響くだろうけど、その他の人々には障壁として働くから、世界中の人に音楽を伝えたいと思っている人にはあんまり有効な戦略になりません。

p192 「みんなが”こんな人間”だと思っている社会的人格」と「暴論的私見を語るネット人格」の間の整合性を気づかう必要がない。暴論を吐いてもその「見識を疑われる」のはネット人格であって、日常生活には何の支障もない。

として、匿名発信に大して警鐘をならす内田先生ですが、私自信「匿名発信」の人格者なので、ちょっと異見してみます。一つ前提として考えておくべきなのはネットに匿名性なんてものはない、ということです。だって、殺人予告したら、あっさり逮捕されるんだから。IPアドレスだかなんだかから辿って、誰が発信したコンテンツなのかは調べればすぐに分かるのだから、人格破壊が起こる様な「暴論的私見を語る」ことはネット上では出来ない、と私は思います。このような匿名発信が危険なのであれば、同じことが新聞への投書やラジオの投稿なんかで昔も長期に相当数の人間が実現できたし、それが人格への呪詛であるなんて言説は聞いた事がありません。学校では学校の、会社では会社の、家庭では家庭の人格が自分の中で折り合いを付けている様に、ネット上の人格も同じ長屋の中に納まりきっているものと私は思っています。

とまぁ、こんな枝葉末節な揚げ足取りをする人間にはなりたくないね、という話がメインなので、見事にそっち側の人間になった自分を反省して、終わりにしたいと思います。