「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

ローカリズム宣言「成長」から「定常」へ 内田樹

ローカリズム宣言―「成長」から「定常」へ

ローカリズム宣言―「成長」から「定常」へ

あんなに勢いのあった内田先生も最近は本当に落ちぶれてしまいました。

本を一冊読んでも「なるほど」「そうだよね」と膝を打つ箇所がひとつもない。最近の内田先生は「そんな気がする」「経験がそう告げる」とわざと感覚で物事を語ろうとしている。学術書ではないので、全てが厳密に語られなければならないわけではないけども、読者が共感できない箇所に対して「なんで?」と思っても「そんな気がするから」で結論付けられてしまうので、どこも肩透かしをくらってしまう。

人間関係、夫婦関係、仕事、政治などなど迷った時は内田先生の本を取り出して文章を追っていたのも過去の話。いまでは内田先生の主張に全く共感も納得もできなくなってしまった。私もそろそろ脱内田樹宣言をしなくてはならないのかもしれません。


まず、この本を書くきっかけになったという「若者がローカルを目指す動き」というのが私の周りでは1mmも感じません。一瞬、Iターンとかいう言葉が聞こえた時期がありましたが、全く広がりを見せなかったという認識です。地域おこし協力隊も問題ばかりがフューチャーされて、その成果を聞いたことがない。私はもう田舎はダメだと思います。大都市圏への一極集中がより進むでしょう。だって日本全体で人口と経済を縮小しているんだもん。働き手もいないし、歳入も増えない。山の中に1、2件ある家のために道路と電線と水道を引いて維持する資源がない。そこから買い出しにいくにも車とガソリンが必要で、その資源がもったいない。人が減り貧乏になっていくからこそ、固まっていた方が生存戦略上良い。農林水産も高齢化が進みすぎて次の担い手がおらず、企業がそれらをまとめ始めていて農家も大規模化しているとJA関係の方が言っていました。地方で小商い化が進むのではなく、地方はその自然資源を大手企業が効率的に利用する。市民たちは大都市に集中して身を寄せ合って暮らす、というのが私のおおざっぱな未来日本予想です。

水も飲めて、電気もあって、食料もあって、道路も車も高速道路も空港もネットも全部揃ってて、親の世代でその全てがすでに整えられた世代です、私。今からワクワクするような社会の変化があるような気もしないし、特に生きることに不満も不便もないから、何か新しいことをやる意味もない。日本という国自体がすでに老成しているような気がしています。日本を人に例えると70歳くらい。今から何か新しいことにチャレンジする元気はない。今までのことを淡々と続けてあとは死んでいくだけ、社会全体がそんな閉塞感というか諦念に覆われているような気がするのは私だけでしょうか。



でも、幸せって閉塞感のことだと思うんですよね。