「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

ハンナ・アーレント「全体主義の起原」 100分 de 名著

学生時代に読んだハンナ・アーレントの「全体主義の起原」。心の奥底に突き刺さるものを感じた記憶があるのだけど、もう一度読み返すほどの元気がないので、NHKテキストでお気軽に済ませました。

全体主義の起原」を読み解くというよりも、アーレントの生い立ちから社会にもたらした影響に焦点を当てる内容です。

なかでも「エルサレムアイヒマン」における「悪の凡庸性、陳腐さ」について丁寧に説明してくれます。


ネットを見てると社会の不調の原因について深く洞察する前に、「半島のやつらの仕業か」とか「そんなことをやるやつは日本人ではない」とかすぐに民族という幻想にすがりつこうとする風潮があります。その風潮は第一次世界大戦後のヨーロッパの空気と近しいものがある。

「自分の仕事が報われないのはユダヤ人が経済を牛耳っているからだ」、「実態としてみたことはないけどなんとなくつながりがありそうなユダヤ人の団体が世の中の枢要に入り込んでいるような気がする」、「生活が豊かにならないのはユダヤ人が富を独占しているからに違いない」。

そんな風に世の中を捉えるのは非常に楽なことです。考えることは疲れるから。自分に責任があると考えるのは辛いから。何か自分とは関係のなさそうなところに社会の不調、自分の人生の不幸の原因を見出したくなる。


そうやって考えることを放棄して、全員が一つの敵を作り出し、まとまることが全体主義です。アーレントは「複雑なものを複雑なまま捉えること」を説きます。そうすれば安易に答えを出して危険な道に突き進む可能性は減っていくでしょう。「上司が言っているから」という理由で不正に与するのも、「部数が出るから」という理由で不倫の記事ばかり世の中に発信するのも、考えることを放棄して安易な答えにすがりついているからなのではないか。

学生の時は、アーレントのその考えに深く共感したものです。


でも社会に出て10年経って思う。

複雑なものを複雑にしておくことは疲れる。疲れると考えられなくなる。安易な答えにすがりつきたくなる。「で、結局どうなんだ?」と答えを求めたくなる。わからないことをわからないままにしておいても何も前に進まない。でも間違った答えにすがりついたら破滅的な結果を招くかもしれない。

じゃあ複雑なものを複雑に考え続け、世の中は複雑過ぎて何も分からない、何も決められない、何も進められない、ということが正解なのだろうか。もしかすると破滅的な結果を繰り返さないと人間何も分からないのかもしれない。地球だって宇宙だって破壊と創造を繰り返しているわけだし。

20世紀の悲劇は繰り返してはならないけど、「複雑なものを複雑なままにしておくこと」は「何も行動しないこと」になり、結局、別の悲劇を生み出すことならないか、ちょっと不安でもありつつ、世界はそんな風にできているのかもしれないなとも思いました。