「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

意図がズレてる 経産省の次官・若手プロジェクトの報告書を読んで

経産省のこの報告書が話題になっているそうです。

http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/020_02_00.pdf


カチカチの経産省から「若手」が、しかも「抜本的な改革を」という文言が前面に出た資料が公になることがあるんですね。

国内外の社会構造の変化を把握するとともに、中長期的な政策の軸となる考え方を検討し、
世の中に広く問いかけることを目指すプロジェクト。


具体論がないとか、So what?とかいろいろな批判があるようですが、そもそもプロジェクトのコンセプトとして「広く問いかけること」自体を目的としているので、はてぶが2000以上ついた時点でこのプロジェクトは成功と言えます。


高齢者優遇の硬直化した制度を撤廃して、もっと個人が好きなことをやれるような制度に刷新しよう。そうすれば組織を全体が活性化するはず」というストーリーって経産省だけでなく、きっとあらゆる企業の若手の中で数年に一度は盛り上がる議題なんじゃないでしょうか。私のいる商社業界でもそうです。前いた重厚長大メーカーでもそうでした。「若手を集めて何かしよう」と若手の誰かが言うか、若手と話したがるおっさんが言い出す。私も過去2回そんな議論に参加した記憶があります。若手が議論して、実行するためにエスタブリッシュメントたちに上程する中で、反対意見に疲れ果て「もうどうでも良いか」となってくる。そこでおっさん達が「お前らも結婚して子供を産んで、生活していく中で、世の中変えようなんて思わなくなるよ」なんて諭されたりする。そういうもんです。プロジェクトなんて。


こういった議論は「ここが問題だ」、「ここをこうしたらもっと良くなるんじゃないか」と観念的なことを話しているうちは楽しいのです。だって観念的なことに反対意見なんて存在しないから。今回の経産省次官・若手プロジェクトで言うと「働ける高齢者は弱者と規定しないで働ける場を提供しよう。公でカバーできないところは民間の力を借りよう」と提言している点。これだけでは「うん、そうだね」としか言いようがありません。だって誰もが共感できる理想を語っているだけですもん。「みんなが幸せになろう」と言っているのに等しい。本当にやっかいなのは具体論に噛み砕いてからなのだ。


「弱者ではない高齢者をどう線引きするのか」とか「民間の財源をどうするんだ」とか「公に見捨てられた個人はどう生きれば良いのか」という問題は個別具体論であって、観念的な議論の場では表面化しません。でも、実際に行動に移す時はこの個別具体論が全てなのです。


「弱者ではない高齢者をこう規定します」と具体論を提示した途端、反対意見が100億個出てきます。例えば「65歳以上の全員に健康診断をして、線引きします」と言った日には「もともと高血圧体質で健康な人はどうするんだ」「メタボは弱者なのか」「病院までいけない人は自動的に弱者になるのか」「だったら誰も病院に行かないんじゃないのか」「健康診断の費用は結局若者が働いた税金から出すのか」「本人は健康で働きたいと言っているだけで、能力ないし体力ないから周りは迷惑だ、それでも雇わないといけないのか」「急に病気になったらどうやって弱者になるのか」「病気が治ったら弱者じゃなくなるのか」「毎年検査するのか」「健康で気力があるうちに一日中テレビをみたいんだ、放っておいてくれ」・・・・という風に。


個人的にはこの提言に対しては好感と怒り、二つの感情が沸きました。
好感をもったのは、資料が綺麗で色合いのセンスが良いところ。


でもやっぱり怒りが湧いてきました。提言するだけなら、どの企業の若手もやっています。何度も言うけど、問題はそこからです。実際にどう行動に移すかです。

みんなに共感してもらえる「共通の目標」を
政府が示すことは難しくなっている。

蛇口をひねれば水が出て、ボタンを押せば明かりが灯り、綺麗な靴で道を歩ける、だけで政府がやれる「共通の目標設定」なんて終わっているのです。それ以上の幸せは個人の問題に移行したんだよ。今さら何を言ってるんだ、経産省の若手達。


本当に何か変えたいなら、外に出て今ここであなたが行動に移すしかないよ。世の中を抜本的に変えるのはさすがに無理だけど。20代、30代のうちから何か一つに本気で取り組めば、一つくらい実現できるかもしれない。


経産省の若手諸君。「世の中に広く問いかけることを目指す」とかクソしょうもない目標を掲げてないで、本気で世の中を変えるために動こうよ。


俺も頑張るから。