「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

良い会社って何だろう?

良い会社とはなんだろう。

学生時代真面目に勉強して、部活に打ち込んで、バイトに精を出す。恋人を作り、友人に囲まれ、親孝行する。

そんな人でも就活に失敗することは多々あります。

 

受験やスポーツと違い、就活はコツコツ真面目に頑張った人が勝てるというルールを採用していません。だって、そもそも何が勝ちなのかが定義されていないからです。

 


私が就活をしていた頃は、外資金融、テレビ局、東京電力JALSONYが勝ち組企業の代表格でした。

今ではどうだろう。

 


外資金融はリーマンショック前の法外な給与体系はなくなり、テレビ局はテレビ離れを抑止することが出来ないまま10年が過ぎようとしている。東京電力原発を抱えて人材が流出中、JAL会社更生法が適応されリストラ、SONYは代表的な商品が一つもなくなってしまった。

これらの会社はまだ勝ち組と言えるのだろうか。

 

問いを変えて、なぜ彼らが勝ち組と分類されていたのか考えてみる。

平均年収が高いからだろうか。
会社が大きな利益をたたき出しているからだろうか。
長年、安定的に経営を維持しているからだろうか。
知名度が高く世間体が良いからだろうか。
世の中に必要なサービスを提供していて、人から感謝されているからだろうか。
株主への配当性向が高く株主に感謝されているからだろうか。


働く側からみたら結論は、やはり平均年収が高いから、という理由に行きつくに違いない。実体験からそう思うのです。



以前私が働いていた会社は業界でもかなり有名で、毎年数千億円の黒字をたたき出していました。いわゆる優良企業です。

 


日経新聞には毎月のように取り上げられ、東洋経済でも日経ビジネスでもしょっちゅう特集が組まれる勝ち組企業。

 


私が働いている部署にテレビ局や雑誌の取材が来たのは一度や二度ではありません。

 


いま、働いていたと言いましたが、私はその部署で右からもらった数字に係数をかけて左に渡すだけの作業をしていました。右の人はもっと右の人から出した数字を足す作業をしていました。左の人はもっと左の人にその数字を翻訳して伝える作業をしていました。つまり「働く」というよりも作業ばかりしている会社でした。


それでも業界の景気が良かったからか、先人が構造的に儲かる仕組みを作り上げたからなのか
私が在籍していた5年間はわが世の春を謳歌していました。


しかし。給料は毎年2000円しか上がりませんでした。当時、社会人5年目にして手取り16万円でした。会社は毎年数千億円の純利益をたたき出しているのに、です。


こんな単純作業ばかりしていてもっと給料寄越せというのもおこがましいですが「俺はもっといろいろやれる。もっと働いて、もっと稼がせてくれ」という想いがありました。でも、会社は仕組みとして出来上がっているので、他のことは何もさせてもらえませんでした。結局5年間やりがいのある仕事を任せてもらえることはありませんでした。というか、会社を見渡してみても「この部署でこれをやりたい」と思える仕事が一つもありませんでした。



この時に思いました。会社って何のために存在するのだろう、と。


利益は当然、株主の物になります。このやり方で利益が出せる限り従業員の働き方、というか作業方法が変わることはありません。当然、給料も上がらないので、生活が良くなることはありません。(ボーナスは利益額ではなく利益率で決まる謎の制度でした)


内部留保として会社に貯蓄していれば、いずれ不景気に見舞われたときに会社自身と従業員を助けることになるかもしれません。でも、従業員からすれば稼いでも稼いでも、利益は株主の手に渡り、いつ来るか分からない不況の備えに回されてしまいます。その備えが自分の手に返ってくるとは限らないのです。


その後、転職し今の会社で働いてもうすぐ丸3年になります。今の会社は会社自体の利益は大したことないのですが、給料は前の企業の2倍以上もらえています。ボーナスは業績連動型なので、頑張れば頑張っただけ報われます。


株主目線で見ると以前の会社の方が明らかに良い会社です。だってどんなに利益出しても従業員に還元しないで、株主に回してくれるのですから。


従業員からすると、今の会社の方が明らかに良い会社です。だって「自分のやりたいこと」をやりながら、成果が出れば多くの給料を貰えるのですから。

 

でも、転職してから最近は別の尺度で物事を見るようになりました。報酬とは別に「楽しさ」というのも、会社の良し悪しを測る尺度としてあっていいはずです。

 


さきほど「働く」という言葉を「作業」に置き換えました。作業というのはつまらないものです。しかも、本来ビジネスと作業とは全く対極にあるものです。作業とは決められたことを変わらずやり続けることを言います。一方、ビジネスとは毎日変わりゆく世界に対応していくダイナミックなプロセスです。同じ給料なら作業よりも、ビジネスができる会社の方が楽しいのではないでしょうか。

 

 


働くってどういうことかと考えるとテーマが広大で深遠過ぎるのですが、ビジネスとは何かと考えてみると至極単純な結論にいきつきます。

 


医療はビジネスではありません。
教育もビジネスではありません。
行政もビジネスではありません。
立法もビジネスではありません。
防衛も環境保護も人権保護もビジネスではありません。


それらの分野で働くことはあっても、それはビジネスではありません。

 

なぜならビジネスとは「金取りゲーム」だからです。

世の中を良くするためとか、人間として成熟するため。といった目的がビジネスを始める上で掲げられることももちろんあります。

でも金銭的利益を度外視しては絶対にビジネスは成り立ちません。金銭的利益度外視で医療、行政、立法、防衛、環境保護はできますが、ビジネスは出来ません。

 


なぜなら、金銭的利益=金取りゲームがビジネスの目的そのものだからです。

もちろん、世の中を良くするためとか、人間として成熟するため、といった目的があっても良いのです。でもそれは副次的なものにすぎません。

 

世の中を良くするビジネスの方が金が回るからそうするのです。

人間として成熟した人たちがそろった社会の方がビジネスが大きく成長するから、そうするのです。


もし世界を破壊し人間を幼児化させた方が、金が回るのなら、みんなそうするでしょう。

 

でもそうじゃない。人々に教育が行き渡り、参加者がルール規範を守ることは、金が円滑に回る条件となっている。

では、なぜそんな条件が課せられているのか。


私の考えでは「その方が難しいから」です。


ではなぜ難しくするのか。

 


「難しい方が楽しいから」です。


人間、難しい方が楽しい。これはもう、そうとしか言いようがない。

 

 


人間、簡単なものは飽きる。人間、簡単なものを楽しみ続けることが出来ない。


いつまでも「チューリップ」を聞き続けられる人間はいないように。
いつまでもマリオ3の1-1を遊び続けている人間はいないように。


必ず人間はチューリップのコードを砕いて、リズムを外して、伴奏楽器を増やして、転調しようとする。


マリオの1-1を目隠しでクリアする⇒目隠ししてコインを全部取る、というように難解な課題を自分に課す。

足し算を覚えたら引き算がしたくなる。
自分の似顔絵に飽きたら、風景が描きたくなる。
カラオケがうまくなったら、原曲キーで歌いたくなる。
ハーフマラソン走れたら、フルマラソンに挑戦したくなる。

一つクリアしたら、もっと難しい事に挑戦したくなる。

 

それが人間の条件なのかもしれません。


だからビジネスという金取りゲームのルールはめちゃくちゃ複雑になっています。モノポリーなんて目じゃないくらい。

ビジネスは何やっても良いようで実はがんじがらめ。と見せかけて、いくらでも解釈可能。
1つのインプットでアウトプットが何千倍も変わる世界。
経費の処理だけでも無限の解釈が可能な自由度マックスの神ゲー。将棋よりも戦局パターンが複雑だ。


だから良い大人が何億人も夢中になってこの金取りゲームに参加している。
モノポリーに負けると悔しいのと同じ熱量で、このゲームに熱中している。


金は取られるが命が取られることはない。
命は取られないが幸せと栄光は手にすることが出来る。

ビジネスこそがこの世界で最も楽しいゲームだ。

 

 

 

良い会社とは「夢中になってビジネスをしている人たちがいる会社」なんじゃないかと最近思います。