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「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

私とは何か 「個人」から「分人」へ 平野啓一郎

良本の定義は「今まで知らなかった世界の見方を提示してくれること」です。良本を読む前と後では、まわりの世界が一変します。大袈裟ではなく。一変するものです。

 

そういう意味でこの本は素晴らしい良本です。

 

 

 

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

 

 

これ以上分けられない「個人」をさらに分割した「分人」という概念を導入することで我々が生きていく上で感じる心の動きを見事に説明してくれます。

 

なぜ、妻を会社の人に会わせたくないのか。(社内に不倫相手がいるからではない)

 

なぜ、親といるところを友達に見られると恥ずかしいのか。(母ちゃんが太っているからではない)

 

なぜ、「誰にでも感じの良い人」を「感じが悪い」と思ってしまうのか。(八方美人が悪口になる理由)

 

なぜ、アメリカ人は地元の友達も会社の友達も同じパーティに呼んでしまえるのか。(キリスト教と関係しているらしい)

 

なぜ、携帯を見られることがこんなに嫌なことなのか。(先日妻に見られた、離婚を考えた)

 

そう言った疑問がクリアになりました。我々は個人という単一の存在ではなく、相対する他者によって次々と心を切り替える複数体であると考える。さらに、それらをまとめている司令塔すら存在しないと考える。

 

奇しくも下田美咲の口説き方にあった「性格はコロコロ変わるから見た目を好きになって欲しい」という考え方と一致しています。

 

親と一緒にいるときの自分、学生時代の友達と一緒にいるときの自分、会社で上司と喋ってるときの自分、会社で後輩と喋ってるときの自分、ブログを書いているときの自分、全部同じのようで全部違う、そう考えるといろいろなことが説明つきます。

 

ブログの自分と学生時代の友達と一緒にいる時はわりかし近い。だから、学生時代の友達にブログがバレても全然問題ない。でも会社の人には不味い。

 

会社の上司と一緒にいるときと妻と一緒にいるときの自分はわりかし近い。だから、妻を上司に紹介しても構わない。でも、後輩は不味い。キャラが違い過ぎる。

 

これは私が多重人格者だからか?いや違う。みんな違う面を違う場面で登場させているはずだ。そうでないとこの世の中回らない。というか、そもそも人間はいろいろな自分を生きていたいという欲求がある気さえする。どの自分も良いところ悪いところあるのだ。

 

考えすぎで言葉に詰まる自分の不器用さが嫌い

でも妙に起用に立ち振る舞う自分はそれ以上に嫌い

Mr.Children   HANABI

 

 

 

こうやって異なる自分を今見つめているのは、ブログを書いている自分だ。わりかし向上心が高くて、真面目で、硬い自分だ。これが本当の自分だと言い切る自信もない。怠け者でグズでケチでエッチな自分も同じくらい生活の中に根付いているからだ。

 

 

歳をとるということはその年の人間になる、というだけではなくて、過去の自分、たとえば10代の時の自分、20代の時の自分を取り出せるようになることだ、と内田先生は言っていた。その考え方と分人思想は重なる。

 

我々は複数の人間を生きている。それでいいし、相手がそうであっても良い。100%悪い人も100%良い人もなかなかいないものだ。人間関係に悩む人はぜひ読んでみてください。