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「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

時代を過ぎた本『ビジョナリーカンパニー 時代を超える生存の原則』

ビジネス本

もっとも有名なビジネス本のひとつ『ビジョナリーカンパニー』を読みました。Amazonのレビューでは激賞の嵐ですが、個人的には、退屈でバランスを欠きビジョンの見えない駄本と感じました。理由を述べます。





1、ただの経営史

『ストーリーとしての競争戦略』もそうでしたが、経営に関する指南書って、どうしても経営史なんですよね。こうすればうまくいく、というよりも、こうしたらうまくいったという話に終始する。だからこれをどう活かせるかっていうと・・・?なんだよね。経営学者って、鮮やかに作り上げられた芸術を品評する批判家に過ぎないのだろうか。いくら批判したり賞賛したりしても、別に「その通りに成功」するわけじゃないのだから彼らの存在意義って娯楽以上のものはないんじゃないの、とすら思える。




2、ビジョナリーカンパニーである意義

ビジョナリーカンパニーの定義は

・業界で卓越した企業である。
・見識のある経営者や企業幹部の間で、広く尊敬されている。
・わたしたちが暮らす社会に、消えることのない足跡を残している。
最高経営責任者(CEO)が世代交代している。
・当初の主力商品(またはサービス)のライフ・サイクルを超えて繁栄している。
・1950年以前に設立されている。

とあります。

つまり、「みんな知ってて長く繁栄が続いている企業」な訳です。



長く繁栄が続いている企業に共通する経営理念を紹介するのが本書な訳ですが、そもそも「長く繁栄が続く必要」が私にはよくわからないのです。我々が組織を作り、働くのは、「会社が繁栄するため」でもありますが、それは副次的な意味であって、一義的な意味ではありません。我々が働く一義的な意味は「世の中を良くするため」だったり「自分や周りの人々を幸せにするため」です。だから、会社の繁栄はその手段でしかありえないわけです。会社が長く繁栄するために、世の中に犠牲を強いるような会社はSFにしか登場しません。(バイオハザードのアンブレラ社等)


つまり、会社は「世の中を良くするため」に存在するわけであって、その継続的繁栄は誰が要請しているわけでもないのです。世の中を良くするための新製品や技術イノベーションが継続して生まれる仕組みは「社会」が担保すれば良いのであって、「会社」が担保する必要は全くありません。つまりインフラを整備し、教育を整え、若者にチャンスを与える社会が「継続的な繁栄」と「幸せな生活」を実現するのであって、「会社」が主体となる蓋然性は全くないわけです。



別にビジョナリーカンパニーなんて目指さなくていいのだ!たとえ一代でも、一製品でも世の中を良くする製品やサービスを生み出せたならその会社は素晴らしい。50年続く必要がどこにある?国家や社会が一代で潰れては困る。でも、会社はいくらでもスクラップアンドビルドを繰り返せばいい。人々が求めているのは会社・組織ではなくて製品やサービスなわけだから。ビジョナリーは社会が担保してくれる。


ビジョナリーカンパニーの例が・・・

SONYなんだもん。



書かれたのが10年以上前だから仕方ないんだけどさ。



いまや、日本の凋落の象徴じゃん。全然、継続して繁栄する仕組みが作り出せていなかった典型的な会社じゃん。



SONYの例を出されるだけで、ビジョナリーカンパニーなんて存在しえないんだなと思い知らされて、テンションが下がりました。










正直、もう時代遅れの本です。もっと面白い本を読むべきです。



ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則

ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則