「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

グローバルカンパニーの到達点と英語不要論

昨今では、グローバル人材になれ、という言説が蔓延っています。ユニクロの柳内会長も、ブレークスルー大学の大前さんも、日本国内でしか生き残れない会社と人材に仕事はない、つまり未来はない、と各所で警鐘を鳴らしています。楽天の社内公用語が英語になって久しいですし、書店には英語学習参考書が並び、スタバには英会話個人レッスンしてるサラリーマンや学生がちらほら。

 
今となっては、どこもかしこもグローバル、猫も杓子もグローバル、酒の肴にグローバル、状態です。
 
でも、ちょっと冷静に振り返ってみると、英語が必要だと叫ばれているのは何も最近始まったことではありません。私が高校生の頃、つまり今から15年以上前もみんな同じことを言っていました。これからは英語を使えない人材に未来はない、と。
 
そして、10年経ち、私は一応1ヶ月のなんちゃって留学をし、一応TOEIC855点とり、一応日本を代表するグローバルカンパニーに入社しました。国内にとどまっている会社と人材に未来はない、という言葉を真に受けたのです。転職する前、新卒で入った会社です。
 
なるほど、当初、その会社はすこぶる業績が良かった。日本がダメな時は中国が売上げを引っ張ってくれた、中国がダメになればインドネシアが、インドネシアも減退してきた時には、日本と北米が息を吹き返してきた。世界100カ国以上で製品を売り、どこかが調子悪くても、他の地域で支えると言う強固なリスクヘッジが出来ており、業績は黒字続きでした。
 
入社して1年目の私は、英語、フランス語、ロシア語、ポルトガル語を一応大学で勉強してきたのもあって、バリバリの海外志向でした。売上げの8割は海外で上げている会社なので、単純に人材の8割は海外へ行く必要がありそうなものです、だから入社したのです。文系の同期は50人ほどいましたが、海外留学経験のない人を捜す方が難しいくらい、海外志向の集まりでした。みんな、途上国だろうが、サバンナだろうが、アマゾンだろうが、いったるで、という勢いがありました。でも、いざ配属発表があった時、理系の200人もあわせて250人、全員が国内配属でした。そして、私は国内の過疎地を回る営業マンとなりました。
 
そして入社5年後。文系の同期50人で、辞めたのが3〜4人。海外で働いている人間は一人もいませんでした。世界100カ国以上で商売をしているのに、です。留学経験者で英語ペラペラな30手前の若者たちを全員国内に配置していました。それでも、安定的に利益を出しているし、安いながらもボーナスは出るし、リストラもありません。
 
このやり方に当時は強い不満を抱いていたのですが、最近、何だか納得がいきました。真のグローバルカンパニーとはこういうものかもしれないな、と。その気持ちに至った経緯を書きます。
 
グローバルとは文字通り国境や国籍の壁がないことです。だから日本人ばかりが優先的に働いている会社はグローバルカンパニーとは言えません。従業員は、どこの出身だろうとどこの国籍だろうと平等に採用され、評価され、権限を与えられます。ビジネスは国境など関係なく、地球のすみずみまで拡大しようとします。これが利益を最大化しようとする企業の合理的選択です。それならグローバルカンパニーの到達点は全世界の人間を従業員として雇い、全世界で競争させることなのでしょうか。つまり、全人類でガラガラポンして万民の競争社会が到来するのか・・・
 
いや、そんなことはありえない。なぜならビジネスの競争は皆同じところからスタートする訳じゃないから。
 
例えば、Aという地域で事業をやるのならば当然A出身者の方が仕事を有利に進められる可能性が高いのです。工場の建設なら、どこが立地の条件がいいか、交通網が整理されているのか、なんていう情報が住んでいる人の方が詳しい。従業員を雇うのなら、その地域の文化や風習を知っている人の方がうまくやるでしょう。地道にコツコツ、商品を売る仕事なら、言葉を理解し、お客さんの懐に入ってくための共通した文化的素養が必要です。さらに工場で人を大量に採用する場合、地元住民を採用した方が、会社が負担する住居コストも軽減されます。だから、グローバルカンパニーはその地域のビジネスの多くをその地域に住むローカルパーソンに任せることになるでしょう。このグローバルなローカル化が全世界に浸透していくのがグローバル化の帰結だと思うのです。
 
私がいた会社はまさに、こういうグローバルなローカル化路線を進めています。現地法人は現地人に任せる。そちらの方が、彼らものびのび意思疎通が出来るし、心理的身体的不可含めて、リスクが細小化されます。ただし、全社員がローカルになるとは限りません。マネジメントをする人間の何人かは、全世界共通の度量衡で計って有能である人間を配置することになるでしょう。でもそんなのローカルに比べたら、1000人に1人の割合くらいで良いのです。さらに、全世界のグローバルマネジメントなんてものは最も優秀な人がやらなくてはならない。ここで初めてグローバル競争が必要になってきます。つまり、グローバルな競争にさらされている人というのは、このグローバルマネジメントのポストを狙っている人と他国のマネジメントを引き受ける一部の人だけなのです。その他99.9%は自分の力を発揮できるフィールドでマネージメントをすることでやりがいを見いだします。
 
日本で言えば、日本語をあやつり日本人の特性を理解し、日本人の部下を操ることができる能力が必要なのであって、英語を学習する必要もないし、無理に他国の慣習を習う必要もありません。つまり、グローバルカンパニーに必要とされる人材なんて、グローバル化する以前の会社と同じなのです。
 
グローバルカンパニーの到達点ってどう考えても、そこだと思うのです。だから、世界を統べるポストに就きたい、と野望に燃えている人以外は、無理にグローバル化なんてしなくてもいいし、子供にグローバル教育を受けさせる必要もないのです。99.9%の人が必要なのは自分が育った環境のことを理解し、そこで生きていく力を身につけること、だけです。
 
英語を勉強して後悔している私が言います。 英語などやらなくて良い。英語やるくらいなら、テニスとか野球とか身体を動かすことをした方が健康にも良いし、心にも良いでしょう。もしあなたが0.1%のグローバル競争社会に入っていく優秀な人材であるのならば、なおさら大丈夫。あなたの能力なら言葉の壁など、何の障害にもなりませんから。