「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

『自分のアタマで考えよう』を読んで「考える」とはどういうことか考えてみよう

はてなブロガーの有名人ちきりんさんの本です。ブログはよく読むけれども、著書は読んだことがなかったので、メルカリで買ってみました。なのでちきりんさんには印税が入りません。すいません。ブログで紹介するので許してください。

自分のアタマで考えよう

自分のアタマで考えよう

前半は「考える」ことの定義と重要性について、後半は具体的データを元にどういう風に考えると良いか説明してくれます。中での気になったトピックを抜き出します。

P21 このように、私たちはしばしば他人の考えをまるで自分の考えであるかのように錯覚します。中略、自分の頭で考えること、それは、「知識と思考をはっきりと区別する」ことからはじまります。「自分で考えなさい!」と言われたら、頭の中から知識を取り出してくるのではなく、むしろ知識をいったん「思考の舞台の外」に分離することが重要なのです。

おそらく、この本の一番重要なテーゼです。思考と知識は別もの、誰かが言ってたことを自分の考えと思っている人のことを思考力のない人と言う、らしい。だから、「誰かから聞いたこと」と「自分が考えたこと」を分離しないと思考はできないよ、と。


文字として「知識と思考を区別する」と言われると「なるほど」と思いますが、実際には「他人の考え」と「自分の考え」を明確に区別することはできません。我々は無から思考を開始することはできません。思考が始まるということは、何か自分以外の対象が既に存在し、その働きかけによって思考を開始したということだからです。故に完全に独立した自分の思考など存在しません。自分が考えていることは既に誰かが考えていることだ、と言ったのはラカンだったか、フーコーだったか。


我々にできることは、誰かが考えたことと他の誰かが考えたことを結びつけることくらいです。おそらく、ちきりんさんは左からもらった知識をそのまま右に流すのではなく、上下左右の情報を集めて、取捨選択して打ち返そうと仰っている。たぶん。

P32「考えること」「思考」とは、インプットである情報をアウトプットである結論に変換するプロセスを指します。中略、「私は考えた!」と言って、「じゃあ、結論はなに?」と聞かれたときに、何も浮かんでこないのであれば、それはじつは考えていないのです。


私は「考える」=「結論を出すこと」ではないと思います。むしろ反対で、「考える」ということは結論を留保することだと思います。本当に考え続ければ、「結論は何?」と聞かれた時、「ぐぬぬぬ」と応えるしかない。ビジネスの意思決定が必要な場面で「ぐぬぬ」では困りますが、ここで必要なのは決断であって、考えること、ではありません。むしろ決断とは思考を遮断することです。「考える」ということは、その対象について関連する項目を全て洗い出し、それらが相補に影響する度合いを計り続ける「プロセス」だと思います。その対象に関連する項目は原理的に無限であり、それらが相補に影響する度合いも当然複雑系で計算不能です。無限大に続く小数点の数字を弾き続けている間に、式の前提が変わるプロセス、これが「考える」ということです。ちきりんさんの定義は「考える」ではなく「決断する」です。この本のタイトルは「自分の判断で決断しよう」の方が近いんじゃないかな。


さらに、ちきりんさんは婚活女子を引き合いに出して、明確な判断基準を儲けることの重要性を説きます。

P118 いくつも存在する判断基準は、すべてが同じ重要性をもっているわけではありません。その時々で「今、最も重要な基準はどれなのか」ということを見極め、思い切って判断基準を仕分けてしまいましょう。そうすると、決断することが一気にラクになります。

そして、婚活女子の判断基準を相性と経済力と定義して、彼女の合理的な判断を賞賛します。確かに、ビジネスではそういう判断が重要な時もあります。ぐだぐだ時間を先伸ばしても企業は死にます。会計年度毎に結果を出さないと株主から批判され、銀行から取引を中止されてしまうから。けれども、逆にいうとスピード重視の明確な決断というのは、ビジネスという特殊な状況下のみに必要なもののような気がします。


だって、考えてみて。相性と経済力だけで明確に価値を定義された男は、リストラ、降格、転職によって経済力を失った途端、捨てられるってことでしょ。定義上そうです。彼女らは明確な判断基準を持っており、ラクに決断することができる人たちだから。今まで培ってきた思い出も、辛かった時に支えてくれた感謝も、二人で描いてきた将来も、相性と経済力という明確は判断基準の前では考量に値せず、すべてきっぱり切り捨てられちゃうんでしょ。本当にそれが「良いこと」なのかな。


人間の判断基準はもっと煩雑で泥臭くて不合理なもので良いと私は思う。(そうでないと、若くて綺麗でスタイルが良いというだけで選んだ今の奥さんが毎年歳を取っていくことに耐えられなくなる)


一緒にいると楽なんだけど、会社は小さくて将来性もない、やめとこうかなぁ。でも、この前ご飯作ってあげたときに嬉しそうに食べてくれたなぁ。そういえば、あの映画好きって言ってたなぁ、私もあぁいう恋愛に憧れちゃうなぁ。でも、両親の健康状態が心配って言ってたなぁ、地元は田舎の方だったなぁ、私は東京にいたいけどなぁ、そういえば服のセンスもおかしいし、結婚して苗字変わったら「小俣薫(おまたかおる)」になっちゃうしなぁ、それはちょっとなぁ、う、なんか、吐き気が・・・ゲロロロ・・・、もしかして。。。。まぁいいかあの人で。


って感じで曖昧になんとなく騙し騙し、自分でもわからないうちに物事が決まっていくのでも良いと思うのです。自分で明確にフィルターを定義したと思っていると、その結果が外れていた時に自分を責めるしかなくなって、余計に追い込む結果になります。「こんなつもりじゃなかったんだけどなぁ」と曖昧にやり過して行きましょう。

P242 どの分野でも同じですが、自分の頭で考えれば考えるほど稚拙になり、間違いも多くなります。偉大な先人や専門家の知恵に素直に耳を傾け、知識としてそれらを学んだ方が「わざわざ自分の頭で考える」より圧倒的に効率が良いでしょう。それでも「自分の頭で考える」ことはとても楽しいことです。

たぶん、ここに尽きます。楽しいかどうか。電車に乗って目的地につくよりも、歩いて行った方が気持ち良いと考えるかどうか。これはもう趣味の問題。私は飛行機でいろんな場所に行ってみたいので、古今東西の偉人の肩に乗ろうともがき続けては、上がれずに落っこちています。デリダドゥルーズハイデガーも訳がわからない。でも、自分の足では絶対にたどり着けない地平がそこにある気がするから、必死にそのジェット機に飛び乗ろうとしています。


最近、仕事でもよく思うんだけど、やっぱり知識って大事です。経験とも言うけれども。だって何にも知らなければ何にも意見なんて言えないもん。新入社員がいきなり部の長期方針に関する意見なんて持てないでしょ。今までの経験と、人から仕入れた様々な情報を組み立てて、ようやく自分の意見に説得力が出ます。というか発言する価値が生まれます。新規事業の企画を通す時なんて、周辺市場の動向や、ユーザーの意見や、プロダクトの仕組みなんかを知識として取集しまくって、そこから「未来がどうなるか」を推定する時に、他の事例や経験を元に推論を組み立てる。っていうか、それしかないできないもん。完全に無からアクロバティックに将来予想を持ち出すことはできませんよね、神様じゃないんだから。だから、私はビジネス上の「考える」とは「知識」と「経験」を集めまくって「未来を予想すること」だと思っています。


いろいろ言いましたが、それこそ「いろいろな経験や知識を総動員して考えさせてくれる」良本でした。さすがちきりんさんです。