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「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

優しい世界の無償の文章

noteでブログをマネタイズするのが流行っているらしいです。「我々は作家です。文章で食ってるんだからお金を取るのは当たり前のことでしょう」と彼らは言う。確かに、その通りかもしれない。私は月10000円以上本を買います、数千円の専門書とかも迷わずぽーんと買います。出版業界にとって格好のターゲットです。どんどん収奪すべきカモです。でもなぜだかnoteで購読する気には全然ならないのです。なぜなのかちょっと考えてみようと思います。

お金を払いたくないわけ

私もはてな民ですから、毎日いろいろな人が書いたブログやニュース記事を呼んでいます。10~20人のブログをチェックし、30記事以上に目を通していると思います。でも、その記事を読むのに一回10円払えと言われたら、たぶん読まなくなります。1円でも読むのを辞めると思う。別にもったいないからではありません。金はめっちゃくちゃあります。めっちゃくちゃあります。別に支払い手続きがめんどくさいわけでもありません。クレジットカード一回登録すればあとは自動課金というシステムだとしても嫌がるでしょう。



これは、ネットにあふれるブログやニュース記事に1円の価値もないと言っている訳ではありません。ただ、お金を払うと何か嫌な感じのものに変わってしまうから払いたくないのです。毎日笑顔で挨拶してくれるあの子に「いつもありがとう」と一万円をあげたら何かイヤラシイ感じになるでしょう。電車でおばあちゃんに席を譲って清々しい気持ちになったところで、おばあちゃんから100円貰ったら嬉しくなくならない?図画工作で一等賞を取った子供にお小遣いをあげるべき?そんな感じの違和感なのです。


ネットは優しい世界

ネットに発信する行為って、別に誰に求められている訳じゃないけど、自分が何か言いたい、発表したいから勝手にやっているものだと思うのです。いわば善意の提供者、無償のGive&Giveで成り立つ世界だと思うのです。名乗れば誰でもブロガーになれるし、記者になれるし、作家になれる、なりたい人は誰でもなれる夢の国。誰に頼まれたわけでもないのに自分から進んで書いている。だから、「読んでもらっている」「見てもらっている」というスタンスが自然なんじゃないかと思うのです。

そして受け手がそれを面白いと思ったり、感動したりしたら、お金じゃなくて気持ちで返して欲しい。少なくとも私はそう。それははてなスターでも良いし、コメントでも良いし、自分のブログに取り上げるでも良い。

本は数千円出しても買います。しかも10ページくらい読んで「やっぱつまんねぇや」と思って捨てたり売ったりする本の割合は全盛期の清原の打率ばりに高い。それでも受け入れる。それはGive&Takeの世界だから諦めがついている。ここは戦場、売れなければ消え、売れれば大金持ち、殺伐として荒廃した世紀末の世界。

すべての言論界がそうなって欲しくない。自由に発信して、自由に引用して、読んで、お互い交流できる場が残っていてほしい。ここは誰に読まれることのない文章も蓄積されていく優しい世界。売れないからと言って駆逐されたりしない。誰にも読まれなかった駄文がいつか誰かひとりを勇気づけることができるかもしれない。そんな儚い可能性を信じて、微笑むことが許される世界、それがこのネットなのだ。お金が絡む厳しい世界ではそういう訳にはいかないからね。

文章を書くことの意味

内田先生のこの記事に完全に同意。
書物について (内田樹の研究室)
詩人のコピーライトについて (内田樹の研究室)


私が文章を書くのは、このしょうもない言葉を誰かに届けたいからです。別にお金が欲しいからじゃない。一円もいらない。人類の「詩的資産」に貢献したいなどと大それた思いはないけども、私が何かを言うことで誰かの感情を揺り動かすことが出来たらと夢見る。文章を書いている人ってそういう人なんじゃないのかな。

note使うなとは言わないけど、全て有料化の動きに進んだら悲しいなと思うのです。