「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

ドラム初ライブと容姿の美醜の話

昨年の2月からドラムスクールに通い始め、昨日初めてライブデビューしてきました。スクールが開催するライブでスクール生以外は全員がプロ。私の場合はギター、ボーカル、ベース、キーボードがプロ。ドラムの私だけ素人という構成でした。

 

リハーサルで初めてセッション、持ち時間は10分くらい。その2時間後に本番。こんなのうまくいくのかいなと訝しんでおりましたが、やってみたら、もう最高なの!

 

プロと一緒にやるというのはこんなに気持ちいいものか。(風俗の感想ではない)

生で本番プレイするとこんなに違うとは。(風俗の感想ではない)

 

とまぁ、5分で果てて、最高のひとときを過ごした訳ですが、問題はその後の話。私以外にもスクール生は10人くらいいて、各々練習の成果を披露していったわけですが、ここで非常に残酷な世の成り立ちを見せつけられました。

 

それは”美人がやると盛り上がる”という紛れもない事実。どんなに技術が拙くても、とにかく美人が歌ったり楽器を演奏したりすると絵になる、盛り上がる、みんなが応援する。でも、そうでない人だと頑張っても痛い奴になるし、やる気がないと何なんだあの態度はとなる。まず、美人は友人が多い!彼女たちには自然と人が集まってくるのだ。スクールカースト上位というやつだ。

 

この世は非常に残酷です。本質的には、芸術の世界に作成者の容姿の美醜は関係ないはずだ、と思いたい。が、実際には容姿こそがその成果物の評価に大きな影響を及ぼします。

 

福山雅治の鼻が豚だったら「桜坂」は売れていないし、miwaが一重だったら誰にも見向きもされなかったでしょう。英漢字國重友美が5頭身だったら、スプニツ子がアジア系のハーフだったらこんなに注目されていただろうか。

 

おかしい、理不尽だと言いながら、私だってこの世界の仕組みに加担しています。美人には優しくなるし、そうでない人にはそうでない態度を取ってしまう。生物学ならこの原理をさらっと説明してくれるでしょう。見た目の優れている人の方が遺伝子的にも生存可能性が高いため、出来るだけその人に好かれようと言う態度を取ってしまう、生き物とはそういうものだと。みんながチヤホヤすればするほど、その人が生きやすい世の中になるから、より一層生存可能性が高まり、よりモテるようになる。モテの連鎖!

 

容姿が良く生まれてきた人はそれだけで幸せなのかもしれない。と思った一方で、容姿が優れ過ぎていて大変そうな人の話を思い出しました。

 

はるか昔の話、私が今まで出逢った中でトップ3に入る美しい女性と食事に行った時のこと。普段から立ち振る舞いが上品で、いつもニコニコ、誰にでも柔らかい対応をしていた天使の様な女性だったのですが、二人きりになると少し印象が変わったのです。もちろん私にとっては良い意味で。

 

ちゃんと好き嫌いもはっきり言うし、ふざけたことも言う、ガンガン自分を通したいという感じの人でした。では、なぜ普段はそのキャラが出てこないのか聞いてみると「女同士は色々あるので、波風立てないように生きていかなきゃならないのです」と言う。

 

なるほど彼女くらい美しいと一度も喋ったことのない男性から好かれたりすることもあるだろう。いきなり食事に誘われるなんてザラだろうし、プレゼントを渡されることもあるんじゃないだろうか。彼女としては何の意識もしてなくても、例のモテ連鎖が次のモテを呼んでしまう。それを見た他の女性がいけ好かないやつとしていきなり彼女を攻撃するのだ。彼女は何もしていない。ただ周りが勝手に自分を好きになったことによって、同性に敵を作ってしまう。モテるとこういうことがあるのだ。

 

これだけ優れた容姿を持って生まれたら何の苦労もないだろうなと思っていた若かりし僕には、衝撃的な事実でした。

 

美人は年上の男性、年下の男性から何の理由もなく好かれ、年下の女性から尊敬され、年上の女性から何の理由もなく嫌われる傾向にある。一方、不美人は年上の男性、年下の男性から好かれず、年下の女性からは馬鹿にされ年上の女性から意味もなく嫌われる可能性が少ないように思える。

 

差し引くとやっぱり美人の方が良い。圧倒的に良い。こういう理不尽な世の中への悲しみからあらゆる芸術は生まれるのだけれども、それさえも容姿の良しあしがモノを言うとなると残された道は一つ。その悲しみを元に圧倒的な芸術を世に出すしかない。

 

ドラマーがリズムを刻み、一帯がグルーヴに陶酔するその瞬間のみ、我々は美醜の地平から解放される。とにかく叩くしかない。ブスは叩くしかないんやで。