「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

ワンダー Wonder/ R・J・パラシオ

 

ワンダー Wonder

ワンダー Wonder

 

 

各所で話題沸騰。今年のスゴ本にも取り上げられたり、大手の書店では特設コーナーも出来ております本書。Amazonのレビューでも最高評価ばかり獲得し、世界で300万部売り上げているらしい。

キャッチコピーは『きっとふるえる』。
たしかにふるえました。見た目にかなり問題があるが、それ以外は全く普通な、むしろ優秀な少年が困難を乗り越え、友情を築いていく成長譚です。

この本のすごいところは自分だったら、この主人公オーガストを目の前にしてどう振舞えるだろうと考えさせてしまうところです。人間、見た目ではないと分かっているけども、やっぱり目がほっぺに付いていて、口が縦になっている人を目の前にして他の友人と同じ様に接することが出来るのだろうかと。

この本の登場人物達はそれぞれに抱えた問題の中で、きちんと折り合いをつけながらオーガストとの関係を構築していきます。物語の視点が色々な人物の視点から描かれているのも面白い。

でも!私は言いたい。この物語は人生において非常に難しいテーマを扱っている勇敢な作品だけれども、決して手放しに賞賛できる話ではないと。以下ネタバレを含みますのでこれから読む方はお気をつけください。

ワンダーのここがおしい① オタクの扱われ方
第一印象の見た目だけで、嫌な顔をされたり、不当な扱いを受けてきたオーガストは、誰よりも人を表面的な部分だけで判断してはいけないことを知っているはずです。この本が訴えようとしているのはまさにその部分でしょう?『オーガストは勇気があって、頭が良くて、人の気持ちがわかる素敵な少年です、でも見た目のせいで不当に扱われている。あなたがほんのひと握りの勇気を示せばオーガストという素敵な友人が出来るんですよ、あぁ人間てなんて素晴らしいのだ!』と言いたいのでしょ?子供達に『人を見た目で判断する様な卑しい人間になっちゃだめよ』と教育したいんでしょ?その方向性には私も全く同意する。でも、だ!だからこそ、オーガストがまさに、瞬時に、何の理屈もなく、『オタクグループ』を否定する価値観を話題にしないのはおかしい。アニメやゲームに熱中する人間はイケてない、出来れば同じグループと思われない方が良いという価値判断はそのままで良いのか?オタクというだけで蔑むそのやり方は、オーガストの見た目だけで卑しい人間だと判断してきたやつらのそれと全くの同型ではないのか?私はそう思う。オーガストはキャンプ場での事件を通して運動の出来る人気者グループに入れたからハッピーエンドになっている。結局、人気者不人気者のヒエラルキーは厳然として残っていて、見た目のせいで不人気だった男の子がオタク達を差し置いて人気者グループに入れた、ただそれだけの話になってしまった。この話で斬りこむべきだったのは、見た目がおかしかろうが、趣味嗜好が偏っていようが、スポーツで優秀な成績を収めていようが、表面的な部分だけで人間を判断すべきじゃないっていうところじゃないの?人間はみんなそれぞれ素晴らしいのだから、一つの基準で貴賎を決めるのは恥ずべき行為だと言いたいんじゃないのか?だとすると、このオタクの扱いによって当初の教育的側面は一気に削がれていると思う訳です。

ワンダーのここがおしい② 味方の作り方
最終的にオーガストペスト菌扱いから学年の英雄に上り詰めるのだけれど、そのやり方が非常に短絡的過ぎると思うのです。最初の親友ジャックと固い絆を結ぶ時、共通の敵、ジュリアンがいました。分かりやすいイジメをしかけてくるジュリアンが向こうから敵と味方の線引きを明確化してくれたおかげで、オーガストに味方が出来ました。ではなぜオーガストは学年中にいた敵を味方につけることが出来たのか?めちゃ簡単な方法です。そう、学校外の敵を登場させたのです。それも何の脈絡もなく、ただ純粋に意地の悪い人間を登場させて。それじゃあこの物語を描く意味がないだろと言いたい。それぞれの善意と論理の中で、それぞれがギリギリの選択の中で折り合いをつけなくてはならないから人生は難しい。オーガストは自分のせいでヘンテコな見た目で生まれたわけではない。ジャックだって、見た目だけで人を判断したくない、でも身体が勝手に引いてしまう自分と葛藤していた。この二つの価値観の葛藤が大事なのに、ただの悪意の塊を登場させては台無しである。そんな人間、現実にはいないのだから。彼らには彼らの善意と論理があるはずである。そんな彼らがオーガストを目の前にして、どうたち振る舞えるのかをもっと丁寧に描いて欲しかった。

ワンダーのここがおしい③ 嫌な奴らの行動原理
この本の面白いところは登場人物の色んな視点が描かれているところですが、もちろん、最初にオーガストに意地悪した連中の心情も丁寧に描かれています。でも肝心なところが、『自分でも何故かわからないんだけど』という便利な言葉で濁されてしまっている。たしかに生きていれば、自分でもよくわかんないまま、人を傷つけてしまうことはあります。でも、この用法を使い過ぎです。

以上が、ワンダーに言いたかった文句でした。でも、考えさせられる本であることは間違いないので、良本です。

この本を読んで、考えてしまう、人間の価値って、どう判断すれば良いのだろうって。見た目は生得的な問題だから、そこを審級の基準にすべきではないのか。では性格はどうなのか。性格だって生得的で、自分ではどうにでもならない要素なんじゃないか。考えれば考えるほど分かりません。いっそ、ドリアングレイの肖像のヘンリー卿みたいに、『美が全ての価値だ』と断言できたら幾分か楽なのだろうか。それによって傷つく人たちの存在には目を瞑って。

いやいや、見た目で苦しい思いをしてきたのは自分自身だったはず。初対面の人から全く興味を持たれない自分の見た目をどれだけ呪ってきたことか。

でも、この世界の非常に重要な部分はほとんど見た目だけで判断されるのは厳然とした事実である限り、そこは認めないといけない。そこを認めながら、でも、それだけじゃないんじゃないの?という声を上げ続けなくてはならない。たぶん、それしか自分に出来ることはない。そんな気がする。