「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

記憶破断者 小林泰三

 

記憶破断者

記憶破断者

 

 

独特の切り口で恐怖と異次元のワンダーランドを書いてきた小林泰三先生の最新作。今回、小林先生の明晰な頭脳によって解体されるものは”記憶”。

人間の記憶というのは曖昧であることは、身を以てわかっていながら、我々はありとあらゆる決断を自分の記憶の延長から導き出しています。朝起きる、私は会社員だったな、だから会社に行こう。駅に着いた確か会社は改札から出て右だったな。会社に着いた、先に先輩がいる挨拶しなきゃ、など。どんな行動も自分の記憶を礎にしている。でも、ちょっと待て、と小林先生は言う。本当にお前は会社員か??証明するものはあるか?会社の場所は改札から右か?昨日行ったのは違うビルじゃなかったか?そいつは先輩か?過去にどこで何をして今どんな関係なんだ?果たしてそれは全て本当だと言えるのか??

全て疑ってかかると数秒ごとに吐きそうになるほど面倒くさいですが、その曖昧な記憶に頼ったせいで間違ったことは誰しもが何度も経験しているはず。初めて訪れたサイトだと思って会員登録したらもう過去に登録してあったとか。そのサイトの会員だったことを忘れているのに、なぜ自分が会社員だったことは確信して言えるのか。田舎の墓参りに行ったら、全然違う道に出て迷ってしまったとか。墓参りを間違えるのに、なぜ通勤の道は間違えないと言えるのか。久しぶりの同窓会、過去の思い出を複数人で話すが、全員が全員、起こった出来事も起こった時期もばらばらに記憶していたとか。

この社会はあらゆることを人間の記憶に立脚して取り決められています。例えば、犯罪の目撃情報とか、「たしかにこの人が痴漢です、私目の前で見ました」と複数人が証言すれば、警察も裁判官も疑わない。人間の記憶なんて自分の都合で書き換えてしまうのに、そんなこと信じていいんだろうか。もうひとつは、友人関係とか。契約書を交わした訳でもない、昨日握手した友が、今目の前にいる人間と同一人物だと思ってるけど、果たして本当にそうなの??

我々の記憶はこんなにも曖昧なのだから、本当はこれくらい疑って暮らさなければならないのかもしれない。そういったこの世の不気味さと曖昧さを浮き彫りにするのが、この物語。記憶が数時間しかもたない男VS人間に好きな記憶を植え付けることができる殺人鬼の超異種頭脳バトルです。

そして隠しテーマは、読者と作者の記憶バトル。果たしてあなたは”ノート”という記憶媒体装置なしに、このオチの意味に気づけますか?自分の記憶に自信がある方は読み返しなしでお試しください。私は完敗でした・・・。