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「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

我が闘争/堀江貴文

 

我が闘争

我が闘争

 

 

敵を作ろうとしているとしか思えないタイトルは相変わらずの調子です。どう考えても、ヒトラーの『わが闘争』とかけている。このタイトルを採用した理由について、「納得できないこと、許せないことと闘い続けてきたから」と彼は言いますが、一通り読んでみると、「いつも闘っていた」という印象が残る本でもありません。むしろ周りを無視しながら、自分の好きなことをやり続けてきたら、こんなしっぺ返しがきた、という本です。ただ、敏感な人を刺激したいためだけに付けられたタイトル。でも、このやり方こそが堀江貴文を象徴しているのかもしれません。なにせ、彼の自叙伝ですから。

まず、幼少期から「リビングオンザエッヂ」の立ち上げ期までは事細かく、振り返ります。彼がどんな思いで勉強していたのか、どんな経緯で起業することになったのか、がよくわかります。特におかしな青年というわけではなく、なんとなく周りがバカに見える、サラリーマンにはなりたくない、何か面白いことやりたいっていう、大2病のような症状が現れてくるだけです。麻雀にのめり込んだり、ディスられてやる気無くしたり、彼女をバイトに引っ張り込んだり、どこにもでいる普通の青年時代だったようです。

しかし、会社が「ライブドア」になって上場してから、雲行きが怪しくなってきます。ただ楽しそうな道がITの起業だったという動機付けから、「世界一の会社にしたい」という野望にシフトした時、彼の暴走は始まったように見えます。文章の中にも、周囲の人間への憎悪と自己弁護がそこらに現れ始め、読んでいてあまり楽しいものではなくなりました。後半、感情描写や場面説明が非常に雑になっていくのも、彼自身、思い出したくないというか、まだ整理がついていないことがたくさんあるから、かもしれません。でも、特別彼が邪悪な人間だというわけではなく、自叙伝なんてそんなもののような気がします、私が自叙伝を書いたとしても、こんなに面白い経験無い上に、自己弁護と思い出崇拝と他責の言葉でいっぱいになることでしょう。だって、自分は自分が良いと思うようにしか行動出来ないんだから、他責の言葉がないなんて嘘でしょう。どこかで他人を責めないと、自分の心が壊れてしまう、そんな時が誰にでもある・・・気がする。

この本の何が不思議って、この本を私が買い、二日で読み、こうやってレビューを書いているその事実です。なんでこんな自己中で、破壊的で、幼稚なオッさんに惹かれているんだろう。読めば読むほど、堀江貴文は何も生み出していないし、社会に対してポジティブなアクションを起こしていない。その辺のサラリーマンや中小のIT社長と何が違うんだろう。最初にちょろっとwebサービスを立ち上げて、その後は時流に乗って、M&Aをしまくっていたことしかわからない。世間で虚業と言われていたことに関しての反論も説明もない。並外れた行動力と決断力で、「何もない」ことをごまかし続けていたとしか思えない。そういう意味では、この人は、「子供」なのだと思う。それも、物凄く頭の良い「子供」。「王様は裸だ!」と大声で人前で論破する子供。

大人はそんなことしない。大人は自分が嫌なことも人のためには進んで引き受ける、大人は相手の立場を慮り落とし所を探す、大人は人前で人の悪口を言わない。大人は「王様のお召し物は素敵ですね」とやり過ごす。

みんなそういう大人になっていく。そういう大人になった方が楽だから。でも、誰にでも疲れて、「もううるせぇよ!王様は裸だよ!」とわめき散らしたい時がある。能力がある人だけが許される特権。

だから、私は堀江貴文に憧れているのかもしれない。