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「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル/東浩紀

人文科学

 

 

日本の現代思想の第一人者、東浩紀の思想書ではなく、エッセイです。エッセイといってもトイレで章ごとに読んで楽しむ、といった軽い本ではなく、ルソーやフロイトの名前くらい聞いたことある人でないととっつきにくい本ではあります。

この本は、東浩紀がゲンロンカフェを立ち上げた時に、なんとなくこの人すげえなと思って購入したものです。その後、ずっと本棚の肥やしになっていたのですが、小説にも飽きていたので、ようやくこういう小難しい本を読む気になったのです。そういえばゲンロンカフェがあまり上手くいっていないという評判を1年前くらいに聞いたのですが、どうなんでしょうかね。

さて、本書自体は非常に読みやすく主張も単刀直入で分かりやすい。めっちゃ雑にまとめると

①近代民主主義の理念の基礎となったルソーの『社会契約論』。そこで展開される「一般意志」という概念は非常に抽象的で今までは実現不可能と考えられてきた。しかし情報技術の革新によって「一般意志」の可視化が可能になったのではないか。
※一般意志はルソーの造語で、人民の総意を意味する。一般意志はその定義上、決して過たないし、政府による一般意志の実現によって人民のそれぞれの欲望(特殊意志)は完全に満たされる。

②一般意志とはコミュニケーションを通じて成立するものでも、熟議を通して承認されるものでもない。社会契約(共同体)の外に、既に存在するものである。人民達が知覚出来ていないところ、すなわちフロイトの言う『無意識』も射程に入れた大きな概念である。

③人民の特殊意志、無意識も情報技術の革新によって蓄積、分析、展開できるようになった。グーグルには人民の個別の欲望や行動や思想が蓄積され続けている。ツイッターフェイスブック然り。これらの情報の展開がルソーの言う「一般意志」の実現に繋がる。

といったものです。
この本は多くの人に読まれ、その分批判に晒されたようです。いまさら私がここでとやかく言っても仕方ありませんが、それでも情報技術の未来を盲目的に信奉し過ぎているという批判は適当と思われます。東浩紀の具体的な政治への提案はこう。議会や委員会には政治家や専門家が出席し、決定権を持つが、その脇にモニターを置き、ツイッターやニコ動のようなものを映しながら、人民の特殊意志を流し続けろという。あまりに的外れな便所の落書きだらけなら、専門家はそれを無視することも出来る。でも人民が全員白と言っている中で、専門家だけの判断で全部真っ黒に決めることは難しくなる、つまり一定の抑止力にはなり得る、と言っています。

ニコ動を見れば分かりますが、誰にでも開かれた場というのは、放っておけば、必ず便所の落書きで埋め尽くされます。それが外交問題や、軍事問題など、センシティブな議題になればなるほど、その傾向は強くて、過敏に反応する大きな声の人たちが議論の場を荒らしまくることでしょう。きっと、そこで情報の交通整理=取捨選択が必要になる。つまり、この本でも少し触れられている「複雑情報の縮減」が課題になるのです。そこが問題で、情報の縮減には必ず何かしらの「恣意性」が介入します。だって、取捨選択するとは、恣意的に情報を分断する、ということだから。

でも、その恣意性そのものが人民の一般意志と真っ向から対立する概念なのです。一般意志とは、すべての特殊意志が等価のベクトルを持っていないと成立しない概念です。誰かの特殊意志に重きをおいたものは、もはや一般意志ではない。

情報技術の革新は、無限に近い人民の特殊意志を蓄積するけれども、可視化はしてくれない、と私は思います。人民の特殊意志を可視化するには蓄積の後、もう一つ、「加工」というプロセスが必要で、そのプロセスで必ず誰かしらの恣意性が介入する。そこで東浩紀が夢見た「一般意志」は雲散霧消するのです。

ビッグデータとかデータマイニングとか統計学とか最近流行ってますが(もう終わった?)、データを蓄積するのはコンピューターでも、データを加工し、分析し、解釈するのは人間なので、恣意性や私情や政治的な都合が介入してきて、結局は自分に都合の良い結果しか読み取らない、いや、読み取れない。もっと言えば、グーグルの検索ボックスやツイッターの文字制限、フェイスブックの今どんな気持ち?っていうのも人民の特殊意志をアーキテクチャにはめ込んでしまっているとも言えます。人民の特殊意志は決して「夫 死んで欲しい」という言葉に一般化できない複雑な背景が潜んでいるし、(夫の即死を願っている訳ではなく、どうせ死ぬなら、最期は安らかに死んで欲しいと思っているだけかもしれない)、フェイスブックには「一人で映画行ったら周りがカップルだらけなんで死にたくなった」なんて文章は書けない(少なくとも私は書けない)。つまり、情報技術の革新によって得られるデータは、既にアーキテクチャの創造者によって枠取りされてしまっており、人民の生活の中のほんの一部を切り取ったものでしか有り得ない、ということ。

この本の主題ではないですが、現代社会が抱えている課題は、「複雑情報の縮減である」というのは慧眼と思いました。あまりに社会が複雑化し、便利になり、個別の欲望に答えすぎて、訳分からなくなっている。これからは、「もう選択するのに疲れたから、誰か一つに決めてくれ」って思い始める人が増えるんじゃないかなぁ。