「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

筋トレライフバランス Testosterone

筋トレライフバランス マッチョ社長が教える完全無欠の時間管理術

筋トレライフバランス マッチョ社長が教える完全無欠の時間管理術

私の人生を変えたTestosterone先輩の最新作です。
筋トレの本ではなく人生を好転させるための行動や考え方を指南する本です。


筋トレに関する言説はマッチョであるというだけで説得力があります。筋トレするだけでポジティブになる、とか。ダンベルがあれば寂しくない、とか。でも話がライフにまで登ると、発信者が人生の成功者であることを知られなければ説得力を持ちません。アジアのどこかの国で社長をしているという自己紹介だけでは「この人の言うことをやってみよう」という気にはなりません。だって、小さな家族経営の会社を継いだだけかもしれないし、一人でラーメン屋台を引いているだけかもしれないんだから。

でも筋トレに関してはエキスパートなので、すごく説得力がある。
なので次回からもライフやビジネスに主眼をおいた自己啓発本を出したいなら素性を明かして、どんなビジネスでどうやって成功したかを披瀝したほうがよかろうと思います。そうすれば説得力が1000倍上がりますし、著作の幅も広がるでしょう。

それをしたくないなら、筋トレに特化した本を出した方が良いのでは。

BtoCマーケティングの指南書『なぜ「戦略」で差がつくのか。-戦略思考でマーケティングは強くなる-』

ある事業の戦略を考えねばならず、藁にもすがる思いでこの本を手に取りました。
「戦略とは何でないか」というアプローチで戦略という曖昧な言葉を定義してくれたのは非常に面白かった。


ただ、汎用性を高めるためか、学術書を読んでいるような手堅さというか無難さが全説明に通底しています。

そしてP&G資生堂の経験からか例として出てくるのがConsumer向けマーケティング戦略の話ばかりでBtoBやWebビジネスの参考になる体験談はありませんでした。

P&G資生堂と言った誰もが知っているブランドが展開する戦略と無名のベンチャー企業の新規ビジネスで採用すべき戦略に共通する部分はおそらく極小です。それが「戦略というのは目的設定と資源配分をどう決めるか」ということなのですが、具体例に踏み込むと全然違う話になってしまうんでしょう。

大企業にいてすでに大きなビジネスをしていて、大きなお金を動かせる人のための戦略本です。

人文学が役に立つと応えない理由について

 

人文学は何の役に立つのか?という記事で内田先生が槍玉に上がっていました。

 

内田樹でググれば2ページ目くらいにこのブログの記事が出てくるほど、私は内田先生を尊敬しております。内田先生は議論を好まない方なので、ウチダ門下生として、意見を忖度して

 

 私がよくわからないのは、なぜ「自分のやっている学問はこれこれこういう風に役に立ちますよ」とか「人文学はこのような点で社会にとって有益ですよ」ということを素直に示さないのか、ということだ。

 

 

 

この問いに応えたいと思います。

 

 まず、「人文学が何かの役に立つ」ということ、いや言い換えると、「人文学が役に立つと主張すること」が一旦は可能であることは内田先生も、他の学者さんも重々分かっています。あの海外の記事の様に、奴隷解放にも差別撤廃にも一定の貢献をしたことは言おうと思えば言えます。

 

でも、彼らはそんなこと言っても仕方ないと分かっているから敢えて言わないのです。

 

一つ例を挙げます。131種類の蛙がストレスを感じた時に発する臭いを分類する学問があるとします。(というか実際にイグノーベル賞を取った研究です。)この学問は何の役に立っているのでしょうか。人権問題や死刑制度の深い洞察に貢献するような成果はないかもしれませんが、蛙専門の心療内科を開こうとしている人にとっては有用な研究かもしれませんし、自分の仕事が地味過ぎてやる気を失っている人に勇気を与える効果はあったかもしれません。もっとも意味のなさそうな研究でさえ、何かしかの役には立っていると言うことは出来るのです。何をするにしても完全に独立した学問は存在しません。発表し、誰かに認知されている時点でその学問は何かしかの影響を他者に与えているのでます。誰に伝わった時点で、自分以外の他者とコミュニケーションを取れた喜びを与えられたという点では役に立っています。

 

 

なので本当の問題はその先です。つまり「役に立った結果、何の役に立ったの?」という疑問です。

 

 

一度この質問に答えると永遠に質問が繰り返されるから人文学者は相手にしないのです。役に立つかどうかという審問の台に乗らされた時点でその問いは応えられなくなるまで続きます。絶対。

 

だって、審問者ははぐらかされたいんじゃなくて、「何の役に立つ」のかが聞きたいのでしょう?学問とは論理体系の蓄積です。空が青かったから、ではすみません。

 

紹介のあった海外のインタビュー記事。あれはただのはぐらかしです。ピーターシンガーの『動物の解放』によって菜食主義者が社会的に認められたことはわかりました。では、菜食主義者が社会的に認められるようになったことは何の役に立ったのでしょうか?

 

 

 

 

文学が道徳性を養ったとしましょう。その結果、奴隷制度がなくなったとしよう。やったー、文学が役に立ったー!でも、奴隷制度がなくなるっていうことって何の役に立っているのでしょうか?差別される側の不幸量が減ったのでしょうか?じゃあ、差別される人が減るってこと自体は何の役に立っているのでしょうか?差別される人が自由に生きていくことができたのでしょうか?じゃあ、その自由は何の役に立っているのでしょうか?

 

その人個人の幸福量が増えたということが成果でしょうか?なら差別する側の幸福量は減ったのではないでしょうか?たとえば安い値段で奴隷を労働者として扱えていたのに、奴隷制度廃止のせいで高いお金を出さないといけなくなったとか。それはその人にとって不要の(役に立たない)学問だったと言えるのでは?

 

社会全体の幸福量は増えた?なら社会全体の幸福量の総和の最大化が学問の目的?なら幸福量を最大化するためには1人の人間を地獄の苦しみの中におとしめることは役立つことなのでしょうか?

 

という風に最後は応えられない選択にいきつきます。絶対。

 

 

役に立つかどうかの基準が社会全体の幸福量の総和なのか、自分の幸福の最大化なのか、不幸量の最小化なのか、それは誰にも応えられません。役に立つかどうかは一般化できないと、内田先生がいうのはこういうことです。

 

最終効果が役に立っているかどうか判断出来るのは政府でも社会でも私でもありません。何の役に立つの?と問うているあなただけです。

 

 

真剣に学問をしている人に「何の役に立つの?」 と問うてくる人は家路を辿る真面目なサラリーマンに「ちょっと電車賃なくなっちゃってさー、金貸してくんね?」とニヤニヤしながら近づいてくるヤンキーに似ています。

 

 

その問いに対する正解は「どこで得た収入を何に使ったんだね?いくら必要で、いつまでに返し、利子は年利15%でもいいかな?」ではありません。

 

「ちょっとすいません、失礼します」か「そんなの知るかよ」 

です。

 

 

 

 帰りの電車賃は自分で工面するのが当たり前なくらい、学問が何の役に立つかどうかの審問は己自身でやるのが当たり前です。

 

それを他責的な言葉で訴えてくる子供のような大人に対して、「そんなの知るかよ」と応えたくなる学者たちの気持ちも分からないではありません。

 

人文学者たちが自分たちの学問が役に立つかどうか率直に応えない理由。

それは学者が応えても意味がないからです。

 

 

 

 

 

良い会社って何だろう?

良い会社とはなんだろう。

学生時代真面目に勉強して、部活に打ち込んで、バイトに精を出す。恋人を作り、友人に囲まれ、親孝行する。

そんな人でも就活に失敗することは多々あります。

 

受験やスポーツと違い、就活はコツコツ真面目に頑張った人が勝てるというルールを採用していません。だって、そもそも何が勝ちなのかが定義されていないからです。

 


私が就活をしていた頃は、外資金融、テレビ局、東京電力JALSONYが勝ち組企業の代表格でした。

今ではどうだろう。

 


外資金融はリーマンショック前の法外な給与体系はなくなり、テレビ局はテレビ離れを抑止することが出来ないまま10年が過ぎようとしている。東京電力原発を抱えて人材が流出中、JAL会社更生法が適応されリストラ、SONYは代表的な商品が一つもなくなってしまった。

これらの会社はまだ勝ち組と言えるのだろうか。

 

問いを変えて、なぜ彼らが勝ち組と分類されていたのか考えてみる。

平均年収が高いからだろうか。
会社が大きな利益をたたき出しているからだろうか。
長年、安定的に経営を維持しているからだろうか。
知名度が高く世間体が良いからだろうか。
世の中に必要なサービスを提供していて、人から感謝されているからだろうか。
株主への配当性向が高く株主に感謝されているからだろうか。


働く側からみたら結論は、やはり平均年収が高いから、という理由に行きつくに違いない。実体験からそう思うのです。



以前私が働いていた会社は業界でもかなり有名で、毎年数千億円の黒字をたたき出していました。いわゆる優良企業です。

 


日経新聞には毎月のように取り上げられ、東洋経済でも日経ビジネスでもしょっちゅう特集が組まれる勝ち組企業。

 


私が働いている部署にテレビ局や雑誌の取材が来たのは一度や二度ではありません。

 


いま、働いていたと言いましたが、私はその部署で右からもらった数字に係数をかけて左に渡すだけの作業をしていました。右の人はもっと右の人から出した数字を足す作業をしていました。左の人はもっと左の人にその数字を翻訳して伝える作業をしていました。つまり「働く」というよりも作業ばかりしている会社でした。


それでも業界の景気が良かったからか、先人が構造的に儲かる仕組みを作り上げたからなのか
私が在籍していた5年間はわが世の春を謳歌していました。


しかし。給料は毎年2000円しか上がりませんでした。当時、社会人5年目にして手取り16万円でした。会社は毎年数千億円の純利益をたたき出しているのに、です。


こんな単純作業ばかりしていてもっと給料寄越せというのもおこがましいですが「俺はもっといろいろやれる。もっと働いて、もっと稼がせてくれ」という想いがありました。でも、会社は仕組みとして出来上がっているので、他のことは何もさせてもらえませんでした。結局5年間やりがいのある仕事を任せてもらえることはありませんでした。というか、会社を見渡してみても「この部署でこれをやりたい」と思える仕事が一つもありませんでした。



この時に思いました。会社って何のために存在するのだろう、と。


利益は当然、株主の物になります。このやり方で利益が出せる限り従業員の働き方、というか作業方法が変わることはありません。当然、給料も上がらないので、生活が良くなることはありません。(ボーナスは利益額ではなく利益率で決まる謎の制度でした)


内部留保として会社に貯蓄していれば、いずれ不景気に見舞われたときに会社自身と従業員を助けることになるかもしれません。でも、従業員からすれば稼いでも稼いでも、利益は株主の手に渡り、いつ来るか分からない不況の備えに回されてしまいます。その備えが自分の手に返ってくるとは限らないのです。


その後、転職し今の会社で働いてもうすぐ丸3年になります。今の会社は会社自体の利益は大したことないのですが、給料は前の企業の2倍以上もらえています。ボーナスは業績連動型なので、頑張れば頑張っただけ報われます。


株主目線で見ると以前の会社の方が明らかに良い会社です。だってどんなに利益出しても従業員に還元しないで、株主に回してくれるのですから。


従業員からすると、今の会社の方が明らかに良い会社です。だって「自分のやりたいこと」をやりながら、成果が出れば多くの給料を貰えるのですから。

 

でも、転職してから最近は別の尺度で物事を見るようになりました。報酬とは別に「楽しさ」というのも、会社の良し悪しを測る尺度としてあっていいはずです。

 


さきほど「働く」という言葉を「作業」に置き換えました。作業というのはつまらないものです。しかも、本来ビジネスと作業とは全く対極にあるものです。作業とは決められたことを変わらずやり続けることを言います。一方、ビジネスとは毎日変わりゆく世界に対応していくダイナミックなプロセスです。同じ給料なら作業よりも、ビジネスができる会社の方が楽しいのではないでしょうか。

 

 


働くってどういうことかと考えるとテーマが広大で深遠過ぎるのですが、ビジネスとは何かと考えてみると至極単純な結論にいきつきます。

 


医療はビジネスではありません。
教育もビジネスではありません。
行政もビジネスではありません。
立法もビジネスではありません。
防衛も環境保護も人権保護もビジネスではありません。


それらの分野で働くことはあっても、それはビジネスではありません。

 

なぜならビジネスとは「金取りゲーム」だからです。

世の中を良くするためとか、人間として成熟するため。といった目的がビジネスを始める上で掲げられることももちろんあります。

でも金銭的利益を度外視しては絶対にビジネスは成り立ちません。金銭的利益度外視で医療、行政、立法、防衛、環境保護はできますが、ビジネスは出来ません。

 


なぜなら、金銭的利益=金取りゲームがビジネスの目的そのものだからです。

もちろん、世の中を良くするためとか、人間として成熟するため、といった目的があっても良いのです。でもそれは副次的なものにすぎません。

 

世の中を良くするビジネスの方が金が回るからそうするのです。

人間として成熟した人たちがそろった社会の方がビジネスが大きく成長するから、そうするのです。


もし世界を破壊し人間を幼児化させた方が、金が回るのなら、みんなそうするでしょう。

 

でもそうじゃない。人々に教育が行き渡り、参加者がルール規範を守ることは、金が円滑に回る条件となっている。

では、なぜそんな条件が課せられているのか。


私の考えでは「その方が難しいから」です。


ではなぜ難しくするのか。

 


「難しい方が楽しいから」です。


人間、難しい方が楽しい。これはもう、そうとしか言いようがない。

 

 


人間、簡単なものは飽きる。人間、簡単なものを楽しみ続けることが出来ない。


いつまでも「チューリップ」を聞き続けられる人間はいないように。
いつまでもマリオ3の1-1を遊び続けている人間はいないように。


必ず人間はチューリップのコードを砕いて、リズムを外して、伴奏楽器を増やして、転調しようとする。


マリオの1-1を目隠しでクリアする⇒目隠ししてコインを全部取る、というように難解な課題を自分に課す。

足し算を覚えたら引き算がしたくなる。
自分の似顔絵に飽きたら、風景が描きたくなる。
カラオケがうまくなったら、原曲キーで歌いたくなる。
ハーフマラソン走れたら、フルマラソンに挑戦したくなる。

一つクリアしたら、もっと難しい事に挑戦したくなる。

 

それが人間の条件なのかもしれません。


だからビジネスという金取りゲームのルールはめちゃくちゃ複雑になっています。モノポリーなんて目じゃないくらい。

ビジネスは何やっても良いようで実はがんじがらめ。と見せかけて、いくらでも解釈可能。
1つのインプットでアウトプットが何千倍も変わる世界。
経費の処理だけでも無限の解釈が可能な自由度マックスの神ゲー。将棋よりも戦局パターンが複雑だ。


だから良い大人が何億人も夢中になってこの金取りゲームに参加している。
モノポリーに負けると悔しいのと同じ熱量で、このゲームに熱中している。


金は取られるが命が取られることはない。
命は取られないが幸せと栄光は手にすることが出来る。

ビジネスこそがこの世界で最も楽しいゲームだ。

 

 

 

良い会社とは「夢中になってビジネスをしている人たちがいる会社」なんじゃないかと最近思います。

 

 

 

 

映画3本観た

ザ・ロック [Blu-ray]

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アクション映画の古典的名作『ザ・ロック』。勧善懲悪の分かりやすい構図ではなく、悪側が自身の行動に対して常に葛藤を抱いているのが切ない。ショーン・コネリーめちゃカッコいい。

レオン 完全版 [Blu-ray]

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言わずと知れたリュックベッソンの最高傑作。イタリア移民のプロの殺し屋と麻薬取締課の刑事に一家全員を殺された孤独な少女との純愛。ナタリーポートマン演じるマチルダの魅力が凄い。この映画のせいで世界中にロリコンが100万人増えたんじゃないかと思う。


アメリカの超ド田舎に住むスピヴェット少年は物理学の大天才。でも双子の兄を事故で亡くしてから、家族はそれぞれ自分の世界に没頭し、誰も彼に構ってくれません。少年のある発明が学会に注目されたことで、少年はワシントンへの大冒険に出かけます。スピヴェットの成長と家族の再生を描く、ほっこりした映画です。

手に汗握るバトルが見所『魔法少女育成計画』

魔法少女育成計画 (このライトノベルがすごい! 文庫)

魔法少女育成計画 (このライトノベルがすごい! 文庫)

表紙からして、電車で読んでいると白い目で見られることウケあい。本屋の端末でこの本を検索していたら妻から白い目で見られました。結局、メルカリで買いましたが、到着した時、妻がドン引きしていました。

「いやいや、違うんだ、この小説は単なる魔法少女ものではなくて、精緻なバトル展開で有名になったハードボイルド魔法少女小説なんだ」と言明すればするほどキモくなる不思議。魔法少女弁明のパラドクス。

単なる魔法少女ものってなんだよ。魔法少女が出る時点で、魔法少女ものなんだよ。魔法少女が出る時点で、成人男性が読んでたらキモいんだよ。
そんな一般解を意に介さないで良いほど、内容が深遠で、凄絶であれば助かる。そんな願いを込めて読み進めました。


結論から言いますと、まぁ、いわゆる魔法少女ものですわ。確かに絶対的に強い能力を持っている魔法少女を出し抜く場面とか、一番へぼい能力が身体能力MAXの相手を倒す場面なんかは、なかなか面白い。でも、それだけを純粋に楽しんで読書しているのならば魔法少女である必要が全然ない。X-MENで良い。白いセーラー服を着せる必要もスクール水着で戦わせる必要もない。


わざわざ魔法少女で戦わせる目的って「性的な対象として観るため」以外に思いつかない。
やっぱり魔法少女ものの本を読んでいる人は、スケベでロリコンなんだよ。俺も含めて。間違いない。


だから白い目で見るのが正解。成人男性がセーラー服とスクール水着を着ている年端もゆかない女の子と同士が戦っている小説を読んで興奮しているんだから、ドン引きするのが正解。


魔法少女ものにたいする一般解は常に正しい。
この事情にかんする特別解は存在しない。


あとライトノベルの言い回しってどうにもカッコつけた感じが気になる。「○○にいたっては常日頃からそういう想いがない訳ではない」みたいな。「ないわけではない」と言うべき個所と言うのはあるけど、「ある」で良いところに「ないではない」を使っちゃう、そんなメンドクササがライトノベルにはある気がする。もう読みません。

大ドンデン返しの教科書『仮面山荘殺人事件 東野圭吾』

仮面山荘殺人事件 (講談社文庫)

仮面山荘殺人事件 (講談社文庫)

東野圭吾の本ではかなり有名な部類に入る大ドンデン返し系ミステリーです。

正直、ストーリー展開も風景描写も心理描写も全然引き込まれません。強盗犯が立てこもり中の山荘で密室殺人が起きると言う超ドラスティックなミステリーなのに、どれもこれも退屈な場面ばかりです。

全部、斜め読みで良いくらいです。


ただし、最後はきちんと締ります。パチパチパチ。


ミステリー小説としては新しいですが、映画ではこういう展開、かなり昔からありましたよね。