「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

さよなら、超大国

アメリカはもう超大国ではない。
誰も言いませんが、そうなのです。


超大国の定義は「あらゆる国の政治的同行がその国の外交戦略の文脈の中で語られること」です。かつて冷戦時代、全ての国はアメリカかソ連、どちらかの超大国陣営に取りこまれ、すべての外交政策がこの2超大国の戦略の中で語られました。今はどうなったか。


EUの命運を左右するBrexitにアメリカは加担したのか。パリの大規模テロに対してアメリカが取った外交戦略は何か。イスラム国にアメリカは何が出来るのか。


何も語られないのである。何も語れないのだ。

 

なぜなら、オバマ政権の時代から、アメリカは世界の警察を止め、アメリカ・ファーストの外交戦略を続けてきたからです。


トランプ大統領の登場はアメリカの凋落を意味しているのではありません。これはアメリカの凋落の結果です。


反トランプの方はトランプ大統領の登場を嘆いている場合ではない。トランプ大統領への期待を醸成した今までの国内外の取り組みを反省しなければ、代案を出すことも、彼を打倒することも出来まい。


既にアメリカは超大国ではない。
凋落した結果が今なのだ。


ニュースでは誰も言わないけど、私はそう思う。

権威を借りた政治的言説のうさん臭さについて

少し前の話ですが、名優メリルストリープのゴールデングローブ賞でのスピーチが話題になりました。

彼女は1月8日のゴールデングローブ賞の授賞式で直接名前を出した訳ではありませんが、誰にでも分かる形でトランプ氏を批判し、そのニュースはまたたく間に世界中を巡りました。彼女の批判が的を射ていたかそうでないかは私にはわかりませんが、この場で政治的な話をするその姿勢に強い違和感を感じました。うさん臭さと言っても良いでしょう。


ゴールデングローブ賞の主催者は彼女の政治活動に賞を贈った訳ではあるまい。あくまでも作品を評価して、作品で演じた彼女の演技を評価して、芸術的な功績として賞を送ったに違いない。それなのに彼女は、芸術に対する功績を称える場で、何の関係もない政治の話をしました。なぜなら、その場では彼女が主役であり、みんなが真摯に耳を傾けてくれ、世界中のメディアがその内容を報道するからです。そして、彼女の思惑通り物事は進み、主に彼女を擁護する形で世の中のメディアはこのニュースを取り上げました。


メリルストリープの演技が評価されたことに関しては、世界的なニュースになっても良い。しかし、メリルストリープの政治的判断は世界的ニュースになるほどの価値はない、と私は思う。だって、彼女は一市民に過ぎないのだから。こと芸術に関して、私の一言と彼女の一言の重さが違うのは疑問の余地がありません。彼女は人生を芸術に捧げ、結果を残してきました。しかし、こと政治に関して、全くの素人であるところは、私も彼女も同一であるはずです。私の言葉には誰も耳を貸さないのに、なぜ彼女の一言が世界的なニュースになるのだろう。


このことは2006年の日本国内で巻き起こった「品格論争」を思い出させました。当時、藤原正彦という学者が「国家の品格」という新書を発表しました。アメリカ式の論理よりも日本式の情緒が世界で重要なのだ、という威勢の良いコラム本です。藤原正彦は数学者でありますが、政治学者でも哲学者でもありません。こと国家や政治に関しては全くの素人です。当時、私は政治学科の大学2年生でしたが、政治学の授業で藤原正彦の論文が引用された本など一度も読んだことがありません。この本は学術的には箸にも棒にもかからない、ただのコラムと評価されました。しかし、この本は爆発的に売れました。売れに売れました。その後も「○○の品格」という似たような本が続出し、この言葉は流行語大賞を取りました。この本がなければ篠原涼子主演の「ハケンの品格」というドラマもなかったことでしょう。(違うタイトルで作られたか)


もちろん、藤原正彦が数学の分野で称賛され、世の中にあらたな数学の考え方を浸透させる一助を買ったのなら、彼が持ち上げられるのも分かる。しかし、藤原正彦は数学で教授になり、国家論のコラムでお茶の間の有名人になりました。コラムの内容には賛否両論あったものの、大多数の市民に「学者様がこう言うんだから、正しいのだろう」という臆断を誘発させる結果となりました。私は政治学を勉強する傍ら、世の中の政治論が藤原正彦のフィルターを通じて語られるようになり、居心地の悪さを覚えました。国際政治論にも、地域文化論にも、政治思想論にも藤原正彦と言う学者の言葉が言及されることはないけれど、ニュースやワイドショーでは「国家の品格」が取り上げられている。私が勉強している政治学とはなんなのだ、と。結果、1年も経てば、マックスウェーバーハンチントンの言説は生き残っても、藤原正彦の話題は消えましたが…。


芸術を称賛する場で政治を語り、世の中を動かそうとしたメリルストリープときちんと「国家の品格」というタイトルの本を売り出した藤原正彦を同列に語るべきではない、という批判もあるだろう。



しかし、門外漢が自分の得意分野である別の権威を借りて政治的に影響力を持ってしまった、という事実は同じだと私には思える。



別に私は、「政治に詳しくない奴が政治を語るんじゃねぇ」と言っている訳ではない。俳優でも数学者でも大いに政治について語れば宜しい。民主主義は開かれているのだ。ただ、「有難がって聞くようなものではない」と思うのである。メリルストリープの演技は括目して観るべきだし、藤原正彦の数学論には敬意を払う。でも、同じ文脈で政治を語られたときには、権威を横に置いて、ちゃんと自分の価値判断でその言説を推し量らねばならない。権威を借りて政治的影響力を持とうとする振る舞いは、私が言うんだからみんな信じろという横暴が透けて見えて、どうも”うさん臭い”のです。


一方、私が称賛したい政治的態度は、フジテレビの日曜朝10:00から放送されている「ワイドナショー」での松本人志です。芸能ニュースや政治論争に対して有名人が真面目にコメントしては上記の様にただ別の権威を借りたキツネになってしまいますが、松本がお笑いの仮面をかぶってあらゆる真面目なニュースを茶化すのは、もはや芸術だと思う。俳優は演劇で、数学者は数学で、芸人はお笑いで、それぞれ政治について切り込んでいけば良いのである。



私の尊敬するドラムスクールの先生が、子供たちに「この世界はユダヤ人の陰謀によって動かされているんだ」と授業の合間合間にレクチャーしているのを知り、別の権威を借りて、政治的な刷り込みを行うのは、とても効果的なだけに怖いなと思い、この記事を書いた次第です。

玉置浩二のI LOVE YOU

デビューして35年経つわけですが、未だに玉置浩二以上のボーカリストが現れません。

この動画を御覧ください。


玉置浩二が歌うI LOVE YOU(尾崎豊)

尾崎の歌は尾崎以外が歌うと、どうも偽物っぽくなるというか、気持ちがこもって聞こえないことが多かったのですが、玉置浩二だけは違います。私ほど尾崎を敬愛している人間が聞いても、原曲を超えていると思う。

歌が上手いってこういうことかと思う。
この上手さをどう表現したら良いのかわからない。
声量が凄まじいからでも、音程が安定しているからでも、ビブラートが一定だからでも、縦のリズムが合っているからでも、ない。
強弱、ずれ、崩し、表情、その全てが「 I LOVE YOU」を表現している、そうとしか言いようがない。


I LOVE YOUという曲は出だしこそキャッチーですが、実はものすごく地味な曲です。でも、聴けば聴くほど素晴らしい曲だと思う。

それからまた二人は目を閉じるよ
悲しい歌に愛が白けてしまわぬように

サビの最後に「それからまた二人は目を閉じるよ」なんて、それだけでは何の意味もなさない言葉を当てはめた。しかも、とても静かで地味なメロディに。ただ二人が目を閉じた、そんな動作だけを表現した。でも、「悲しい歌に愛が白けてしまわぬように」と倒置法で修辞することによって遡及的に前半の歌詞がこの歌の真骨頂であることを聞き手に気付かせる。前半だけを聞いても静かで地味なサビにしかならない、後半を聴き終わった時に、始めて前半がこのラブソングの真骨頂であることが事後的にわかる構造。だから「I LOVE YOU」は曲が終わった後でもその余韻が終わらない。このメロディが心の中で鳴り止まない。

こんな地味な歌が国民的ラブソングとして、30年以上聴き続けられているのは日本文化の素晴らしい結晶のひとつだと思う。玉置浩二という歌い手が引き継いでくれてとても嬉しい。

働くことに迷った時は

自分の仕事に対する考え方を整理したくて、久しぶりに内田先生のブログを読み返してみました。

人間はどうして労働するのか (内田樹の研究室)

本当に良い文章だと思う。

経済活動が重要なのは、経済活動に参与するプレイヤーの「資格」に「市民的成熟」という条件が付されているからである。
貨幣そのものは富ではない。ただの貝殻であり、金属片であり、紙切れであり、電磁パルスである。
幼児でも参加できるなら、その経済活動は人類学的な意味ではもう「経済活動」ではない。
労働の目的は「人間の人間性を基礎づけること」である。
端的に言えば「大人になること」である。
より具体的に言えば「適切なしかたで贈与が行える人間になること」である。

その通りだと思う。
逆に言うと、人間性を損ない、幼児化を促進し、不適切に人から奪うような行為は「労働」ではない。「働く」とは言えない。

その行為を通して、人間性が基礎づけられ、贈与できる大人になれるのであれば、仕事としてやるべきことだと思う。

その行為を通して、人間性が損なわれ、市民的成熟を妨げ、人から多くモノを奪うようであれば、仕事として止めなくてはならない。




今、新規事業立ち上げの中で、相当な苦境に陥っています。

まさにHard Thingです。


何が正解なのかは分かりません。でも迷った時は、この価値観に立ち戻ります。


それは「大人になること」を促進する行為か。


市民的成熟に繋がるのか。


こうすることによって、私は世の中に多くのものを贈与することが出来るのか。


ここが踏ん張りどころ。
頑張ろう。

最強の働き方 ムーギー・キム

東洋経済オンラインで連載中のムーギー・キム氏の汎用性の高いビジネス本です。二色刷りで大事な箇所がわかりやすく、挿絵もかわいい雰囲気に仕上がっています。心構えだけでなく、具体的な行動指針も紹介されており、なかなか面白かったです。なかでも参考になって取り入れたものを紹介します。

できる人ほどメールは即リプライ

メールの見方は人それぞれだと思いますが、私の場合は朝メールを一気に開けまくって、ざっと目を通します。読んで終わりのものは即閉じてオシマイ。返信必要なものは開きっぱなしにしておいて、返信する気になったら返信するというスタイル。気が付いたら退社までメールを放っておいたこともありました。これはいけません。内容がヘビーなメールほど後回しになっているので、結局、優先順位の高い仕事が先に進まなくなってしまっているのです。これはダメだと思い、メールは即リプライを心がけるようにしました。こちらは即リプライルールを自分に課すと、いつもよりも1.5倍くらいメールが増えました…。どんどん話が進みます。ということは仕事も進んでいるということです。めちゃくちゃ疲れますが、即リプライのおかげで仕事は順調に回り出した気がします。

寝ている間の貧富の差は埋められる

起きている間に付き合う人、食べるもの、身につける時計、乗っている車に貧富の差はいくらでもつけられますが、寝ている間はベッドとパジャマにしか差はありません。人生の三分の一はほとんど同等に生きていると言えるわけです。睡眠を快適に、幸せな夢を毎日見ている人生が勝ちです。

面白い仕事は上司が自分でやるのが基本

自分で考えた面白い仕事・やりがいのある仕事を人に任せる人はいません。だって本当に素晴らしい仕事なら何よりも最優先で自分がとりかかるべきだからです。だから、面白い仕事・やりがいのある仕事というのは、自分が変わり者だからたまたま合致した端から見たらくだらない仕事と運良く巡り合うか、自分から主体的に生み出すか、しなくてはならないわけです。仕事がつまらないと思っている人は、たぶん上から与えられた仕事しかしていない人なのです。仕事がつまらないと思っているなら、自分から何か新しいことを始めてみましょう。往々にして「そんなことするな!」と上から抑えられちゃうのが日本の会社なんですけどね。

指導者自らが先頭に立って全力で戦っていないと、部下が全力で働くわけがないのだ。

私がアサインされているチームで、チーム長が「世界中で売り先をみつけてこい」と命じたことがありました。私は「売るものも資産として持っていないし、初めての相手には会社も商売を認めないし、全世界が相手となると全く検討もつきません」と反論したことがありました。そこでチーム長は「でも、この実績はチームとして必要なんだ、なんとしてもやるしかない」と言いました。「では、国ごとに手分けしますか」と提案したところ、「いや、俺は忙しいから行けない」と言われてずっこけたことがありました。チーム員から総スカンで結局このプロジェクトは頓挫しました。どんなプロジェクトでも一番大変なポイントというのがあります。新規開拓なのか商品開発なのか資金調達なのか、それはその都度違うのだけど。でもひとつ言えるのは、リーダー自らがその一番大変なポイントに繰り出さなければ、部下は誰一人ついていきません。だって、そのポイントをクリアした人、その人がいないとプロジェクトが成功しなかったのなら、その人がリーダーになるべきだから。

やりたいことxできることx社会に要請されること

定義上、我々は「できること」しかできません。自分がやりたくて、人から要請されていないこと、それは趣味です。人から要請されているけど、自分がやりたくないこと、それは苦痛でしかありません。理想は「人から要請されていること」と「自分がやりたいこと」が一致することです。その時に、仕事に対するモチペーションがぐっと上がり、見える世界が一変するのだと思います。勉強や仕事というのは「自分のできること」を増やし、「やりたいこと」を増やすプロセスなのだと思います。「できること」と「やりたいこと」が増えれば、「人から要請されること」と一致する可能性が広がるのです。だから今「やりたくないこと」をやっている人も、「やれること」が少ない人も、あきらめずに頑張りましょう!!

うまくいっている人の考え方 完全版 ジェリー・ミンチントン

うまくいっている人の考え方 完全版 (ディスカヴァー携書)

うまくいっている人の考え方 完全版 (ディスカヴァー携書)

最近、自己啓発本ばかり読んでいます。きっと心が弱っているのだと思います。

この本は「自尊心」を高めるための考え方が100通り紹介されています。文字数も少なく、平易な言葉で綴られているのでお風呂の中でリラックスしながら読むのにオススメです。中でも心に響いた言葉を紹介します。

長所に意識を集中すれば、それはもっと伸びる

自分の長所について考えさせられる機会は人生に数度しかありません。就職活動と転職活動のESを書く時です。本当は就職後、仕事を通じて変化した自分の長所を定期的に確認しても良いのかもしれません。ゼロ秒思考のメモ書きで定期的に自分の長所は何か書き出してみましょう。「そういえばこういうところ良いなぁ」と思えるトコロが一つでも増えれば、自分の事が好きになる気がします。

いやなことを言う人は相手にしない

自分の事が嫌いなのか、いちいち嫌味な人っているものです。でもその人は故意に私を嫌な気持ちにさせようとしているのだから、それでこちらが真に受けたら相手の思う壺です。相手にしないのが一番です。

たくさん失敗してたくさん学ぶ

失敗は成功の母という意味で、失敗をポジティブに捉えるのも良いですが、さらに一歩進んで考えてみます。失敗した時のこの絶望的な感情を括弧に入れます。「おれいまこんな感情になっている」と一歩引いた自分を作り出す。すると「こんな激しい感情を経験できたというのは、人生の醍醐味を味わっているな」という興奮を感じます。ここまでくれば失敗も成功もなんでもアリです。人生なんてなんでもアリなのです。

毎日、5分間幸せを意識的に感じる練習をしてみよう

自分の人生で幸せだった瞬間を思い出しましょう。幸せな気持ちになります。何度味わったって良いんです。何回も思い出して幸せをいっぱい感じましょう。メモ書きで書きまくっても良いですね。どんなにしょうもない人生でも過去に幸せだった瞬間くらいあるものです。学校の帰りにエロ本を拾った時の興奮、真夏の運動後に飲んだサイダーの美味さ、内定をもらった時の喜び、大きな商談を決めた時の肯定感、何回思い出してもタダです。幸せだった瞬間で頭をいっぱいにすること。それが幸せを感じるコツです。

自分の思うように相手が行動することを期待する権利を持っている人がこの世に存在するだろうか。

「人の気持ちがわかってない」「全然わたしのきもちがわかってない」と妻に言われ続けている私に勇気を与える珠玉の一言です。「知らねえっつうの」と言い返しましょう。相手も私の思い通りに行動してくれないのですから。

他人に高く評価されることが重要だと考えているなら、その願いはそう簡単にはかなえられない。

他人から評価されるのは嬉しいものですが、それを生きがいにするのはやめましょう。他人の行動を自分が決められるわけがないのだから、他人の評価だけを気にして生きていても長続きはしません。でも自分なら自分のことをずっと評価してあげられる。自分を好きになる具体的かつ効果的な方法、それが筋トレとファッションです。身体を鍛えて、自分に似合う服を着ましょう。それだけで前の自分よりも少し好きになるはず。自分が好きになるとどんなことにもポジティブになれます。

自分の感情は自分の責任 他人の感情は他人の責任

自分の行動によって相手がどう思うかは、相手次第です。自分が良いと思ってやったことに対して、相手が嫌な感情を抱くこともある。逆に、自分がなんとも思っていないことに相手が感謝したり、驚いたりするものです。自分でコントロール出来ないものに関して、自分が責任を追うことは原理的に不可能です。気にするのをやめましょう。

「いい」「悪い」という判断は存在しない

私にとって悪いことも相手にとっては良いこと、その逆もある。運が良いも悪いも捉え方次第です。犬を飼っている私にとっては雨は最悪ですが、傘屋さんや運動会を控えている運動オンチの子供にとっては雨は至福なのかもしれません。

自分の望み通りに他人は振舞ってくれないという事実を受け入れる。自分に危害が及ばない限り、他の人をあるがままに受け入れ、変えようとしない。

結婚生活にしてもビジネスにしても利益が相反する相手とのネゴシエーションは非常に心が疲弊します。最近、そんなことばかりなので、今疲れているのだと思います。この考え方が人生の真理ですね。他人は自分ではない。それを受け入れて、なんとか落とし所を見つけていきましょう。


生きる上で、大事なことがたくさん書かれている良い本だと思いましょう。心が疲れている方にどうぞ。

ビッグデータと人工知能 可能性と罠を見極める 西垣通

最近のバズワード人工知能」の可能性について冷静に分析された本です。

昨今では、どの業界でも「人工知能」が話題になっています。機械が自ら学び知能を深めていく深層学習(ディープラーニング)によって、機械の知能が人間を追い抜き、世の中のあらゆる仕事がロボットによって代替されるであろう、という未来予測もにわかに囁かれています。そんな楽観的?悲観的?というか極端な人工知能論に否を突きつけるのが本書です。本書のポイントは3つ。


1、深層学習のからくり

1950年代に第一次人工知能ブーム、1980年代の第二次人工知能ブームがありました。第一次人工知能ブームは厳密な論理処理によってスピーディーに回答を導き出すものです。オセロなどの単純なゲームでは成果を出し、今後の発展が期待されました。しかし、将棋などの複雑なゲームや翻訳、売上予測など厳密に論理処理できない活動には全く太刀打ちできませんでした。そして第二次では論理ではなく知識を活用することになります。過去にどんな事例があったか、常識的にはどんな判断が多いのかを織り込んで回答を導き出すのです。しかし、どんなに論理計算を早めても、知識を詰め込んでも、刻々と変わる現実に対応しきれる人工知能は生まれない。そこでビッグデータによる「統計」という考え方が出てきたわけです。過去の事例、さらにこれからも出てくる事例をどんどんデータベースに詰め込んで、論理と知識と統計によって「大体合っているだろう」という回答を導き出せるのが第三次人工知能ブームの考え方です。つまり革新的な技術開発が人工知能のレベルを推し進めた訳ではなく、データ処理が早くなったのでビッグデータを集計できるようになり、過去の事例からそれっぽいものを導き出せるようになり、「厳密には合ってるかわからないけど、大体合ってればいいだろ」と開き直ったことが新たな道を切り開いた訳です。



2、機械と生命の違い

P201 生物は現在の状況に応じた柔軟な問題設定と情報の意味解釈によって生きていく自律的存在であり、他方機械は指令通りのアルゴリズムで過去のデータを形式的に高速処理する他律的存在である。おもてむき自律的に見える人工知能ロボットも、内実は過去のデータを統計処理して問題を解決するにすぎない

この一言が全てです。どんなに複雑な情報処理をしたところで、問題設定や概念規定を機械が行うことは絶対にありません。なぜなら問題設定とは人間が生きるために立ち現れる問題のことであり、概念規定とは人間がこの世界をどうとらえるかによって変わるものだからです。なので機械が人間に代わってそれらを行える訳がないのです。「いやいや人間だって自分以外の人間は意識があって世界をとらえているのか」なんて証明できない。とすれば、機械にだって問題設定、概念規定はできるんじゃないか?という考え方もありえます。でも、その世界観を前提に持つと、いま現在の世界ですら、自分以外は機械のような得体のしれないものであふれた世界なので、機械の時代が来ようが来まいがどっちでも良いことになります。なので、その前提は人工知能論では不要です。


3、人工知能の使い方

人工知能ではなく知能増幅を!というのが著者の考え方です。問題設定や概念規定を行うのはこれからも人間であり続けるので、機械は人間の判断を助けるために過去の知識、経験を論理処理して最もそれらしいアドバイスをする、そういう使い方に限定されるべき。つまり、いま現在の人間と機械の関わり方の延長ですね。



文章の中には欧米に対する「一神教の考え方」という判定が随所に見られるのが少し乱暴ですが、とても勉強になりました。