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「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

アラサー以上の人が結婚するためには

コラム

結婚したいけど出来ないというアラサー以上の方と話をしていると結婚に対する認識が根本的に間違っていることに気づいたので、発想の転換の仕方をここに提案いたします。

 

内田樹先生もよく仰るように、結婚は幸せになるためにするものではなく、不幸のドン底に落ちないようにするものです。言わばセキュリティネットです。結婚と幸せには何の因果関係も相関関係もありません。

 

考えてみれば当たり前です。結婚することによって、他の異性との交流は法律で禁止され、友人との交流と制限され、お金と時間は管理され、家事が増え、出費が増え、自分以外の人のために生きる時間が増えるんですから。これが幸せと思う人がいるなら、結婚=幸せという等式が成り立ちますが99.9%の人にとってはそうではないと思います。特に一人で楽しく生きてきたアラサーの人にとっては。

 

結婚したいと思っている人はまず、『結婚は幸せになるためにすること』という誤解を捨てて下さい。

 

何度も言いますが、結婚は不幸のドン底に落ちないためにするものです。

 

逆にいうと相手を不幸のドン底に落とさないという契約が結婚です。

 

だから、結婚の条件として自分が幸せになるための項目を挙げるのは根本的に間違っているのです。大卒以上、年収600万円以上、身長は最低170センチ、次男、などなど。

 

本来結婚するためにあなたが挙げなければならない条件はその逆です。この人なら私が不幸のドン底から救ってあげられますという条件です。つまり、無職、借金200万円以内、前科一犯、とか。怠け癖、足が臭い、口が臭い、でも良い。コミュ障、持病が3つ、嘘つき、とかも良いですね。

 

 

私が不幸のドン底に落ちないようにケアしてあげられる人が自分の結婚可能性相手なのだと思えば、本当の自分の市場価値が分かります。大卒で、年収600万円の人が病気で働けなくなった時に支えられるのだったら、あなたはその人の結婚相手に相応しい。でも、平時にただ生活を支えてもらいたいだけだったら相応しくない。だって、相手にとってあなたとの結婚に何のメリットもないから。そもそも結婚は幸せの原因ではない、にもかかわらずセーフティネットにならない。あなたはあなたが支えられる人と一緒になるしかない。論理的にそうなる。

 

え?自分が支えるばっかりの人と結婚したくない?でも、それはいつもあなたが言っていた結婚相手の条件に当てはまる人もあなたに対してそう思ってるよ。

 

厳密にいうと、社会的な地位も生活力もサバイバル力を完全に一致している夫婦なんて存在しない、それは確かにそう。だから、本当のことを言うと、どちらかが持ち出しであなたが倒れたら私が支える!と言いださないと永久に結婚はできない。

 

昨今、結婚できない若者が増えたのは、持ち出しであなたを支えます!という気概を誰も持てなくなったからだと私は思う。それは縮小経済の所以なのか、消費社会の浸透のせいなのか、はたまたゆとり教育の成果なのか。

 

あなたが結婚したいなら、まずはあなたが持ち出しで誰かを支える!という宣言をしないといけない。その最初のステップが上の条件出しだと私は思うのです。

 

 

 

 

 

月と六ペンス サマセット・モーム

英文学の古典『月と六ペンス』を読みました。

 

月と六ペンス (新潮文庫)

月と六ペンス (新潮文庫)

 

 

天才画家ストリックランドの半生を「私」目線で語る物語です。100年読み継がれているだけあって、登場人物の魅力を的確な言葉選びで最大限に引き出しています。

 

ミソジニ―としか言いようがない人生観が底流しているお話で、今だったらなかなか認められない話かもしれません。

 

なかでもこれは、と思った箇所を紹介します。

 

主人公の女性観。

夫人が世間体を気にしているのを知って、少し熱がさめた。わたしはまだ若く、女の生活において他人の意見がどれほど重要かわかっていなかった。それは女の最も深い感情に偽りの影を落とすのだ。

 ある女性誌の広告文句で「幸せそうと思われたい!」というワードが前面に出ていてプチ炎上したことがありましたね。女性は自分が幸せかどうかよりも、「幸せそうと思われているかどうか」に心血を注ぐ傾向にあるようです。うちの奥さんもキッチンの床がどんなに汚れていようが一向に掃除機をかけたりしませんが、ベランダにタオルが端っこに干してあるとヒステリーを起こして、直しに行きます。

 

 主人公の人間観。

誠実な人間にも偽善的な面は多くあり、上品な人間にも卑しい面は多くあり、また罪深い人間にも多くの良心がある。

やっかいなことに、世の中にはまるっきり善良な人もまるっきり邪悪な人もいません。どちらか一方に振り切れた人だらけなら世の中簡単なのに、と思いませんか。

 

 ある夫婦の生活について。

 

夫婦の暮らしは牧歌的で、独特の美しさが備わっていた。その中で、ストルーヴェのすべてにつきまとう愚かしさが、不協和音のように耳障りな音を立てていた。それでも、その音のおかげで、牧歌はどこか現代的な、人間的なものになっていた。深刻な場面にはさまれた粗野な冗談のように、あらゆる美の宿命であるはかなさを際立たせていたのだ。

 

 こういう表現は文学にしかできない。絵画にも音楽にも映像にも出来ない、こういう一文と出逢えると読書って楽しいなと思います。

 

女性の恋愛観について。

夫への愛に見えたのは、じつは、与えてもらう愛情や快適さに対する反応に過ぎなかったのだろう。ほとんどの女が、それを愛だと思いこむ。夫がどんな人間であれ、女はその手の受動的な感情を抱くものだ。ちょうど、つる草がどんな木にも巻きつくように。賢いものたちはそうした真理をよく知っていて、娘たちに求婚者を受け入れるように助言し、愛情は後から付いてくるから、と請け合う。愛に似た感情は庇護されていることの満足感や、財産を管理していることの誇り、夫に欲される喜び、居場所があることの嬉しさによって生まれる。そんな感情を女が愛と呼ぶのは、精神を重んじるところから生まれる虚栄だ。そうした偽の愛情は、真の情熱の前ではじつにもろい。

 女性の感情などつる草である、と一刀両断します。でも、結婚生活が長く成り立つのは女性が強いつる草だからなのかもしれません。

 

 

 人生の大切なものを奪われた男の告白。

世界は無情で残酷だ。なぜここにいるのか、どこへ向かっているのか、それを知るものはひとりもいない。僕たちは心から謙虚になって、静けさのもたらす美に目を向けなくてはならない。中略、そして、素朴で無知な人々に愛されるように努める。彼らのほうが、知識にかぶれた僕たちよりもずっと優れているんだから。

 

100年前の小説も20年前に習った道徳の教科書にも、最近の映画にも、人類は同じメッセージを発信し続けているような気がします。誰かに愛されるように素朴に生きよ、と。


 

 天才画家ストリックランドの叫び。

愛などいらん。そんなものにかまける時間はない。愛は弱さだ。俺も男だから時々女が欲しくなる。だが、欲望さえ満たされれば、他のことができるようになる。肉欲に勝てないのが、いまわしくてしょうがない。欲望は魂の枷だ。おれは、すべての欲望から解き放たれる日が待ち遠しい。そうすれば何も邪魔されず絵に没頭できる。女は恋愛くらいしかできないから、ばかばかしいほど愛を大事にする。愛こそ人生だと、女は男に信じ込ませようとする。愛など人生において取るに足りん。欲望はわかる。正常で健全だ。だが、愛は病だ。女は欲望のはけ口に過ぎん。夫になれだの、相手になれだの、連れ合いになれだの、女の要求にはがまんならん。

男の魂は宇宙の果てをさまようが、女はその魂を家計簿の項目に入れたがる。中略、おれのためなら喜んでなんでとしたが、おれが唯一望んだことだけはしてくれなかった。つまり、おれを放っておくことだ。

 天才ストリックランドだから言える言葉ですが、大半の男は同じことを考えいているのでは。少なくとも賢者タイム中は。

 

最後はこの言葉。

わたしたちはみな、たったひとりでこの世界に存在している。それぞれが、真鍮の塔に閉じこもり合図によってのみ仲間と意志を通わせることができる。すべての合図が固有の価値観を持っているので、他人の感覚は漠然として捉えどころがない。わたしたちは、心にしまった大切な思いを伝えようと悲しいほどに骨を折る。だが、相手にはそれを受け取る能力がない。だからわたしたちはいつまでも孤独で相手がすぐそばにいながらひとつになれず、相手を理解することも自分を理解してもらうこともできずにいる。まるで、ほとんど言葉の通じない国にいるかのようだ。美しい言葉も思慮深い言葉も口にできるのに、結局はお手本のように退屈な会話しかできない。頭の中には多くの思いが渦巻いているのに、実際にいえることといったら、庭師の叔母さんの傘は家にあります、くらいのものだ。

 

 われわれは心にしまった大切な思いを誰かに伝えたくて、言葉にしたり、歌を歌ったり、絵を書いたり、料理をしたり、仕事をしたりしている。上手く伝わったような気がした日には嬉しくなり、当然のように拒絶されては絶望している。100年前からわれわれの生の営みの目的は何も変わらないのだ。

 

古典と言うのはこういう普遍の価値観に立ち戻らせてくれるので、読み継がれているんですね。とても良い本でした。

 


 

桑田佳祐のコード進行の特性について

音楽

このブログで桑田佳祐の音楽について触れられていたのを読んで、私も気になっていたことを思い出しました。

dankantakeshi.hatenablog.com

たぶん、この方は音楽そのものも桑田佳祐もこよなく愛しており、音楽理論もご存知の方だと思うけど、ちょっと気になった点がありました。

まず、真夏の果実について。

最後にニ長調からホ長調に転調するので全てニ長調ではないが、曲の90%以上がニ長調だ。

通常の「真夏の果実」は転調しません。最初から最後までニ長調です。最後サビ繰り替えすところで盛り上がるから、転調したように聞こえたのかしら。

次は希望の轍について。

何より、サビがニ長調ではなくハ短調の進行になることで、夢への厳しさとそれでも突き進んでいく姿を連想させてくれる。ちなみに、ニ長調ロ短調平行調なため、行ったり来たりすることはあるのだ

サビはハ短調じゃなくて、ロ短調ですよね。たぶんタイプミスかな。二長調のままでⅥ→Ⅲの進行とも解釈できるけど。


そもそも調律で曲を語ることについて、少し違和感を覚えます。厳密にいうと、この方もおっしゃる通り調律には響きの違いがあるので、C調はまっすぐな感じで、A調は美しい感じというのはある。でも、桑田佳祐ニ長調ばかりかというとそんなことないような気がする。

ハ長調の代表曲
涙のキッス
「メロディ」
みんなのうた
「心をこめて花束を」
素敵な夢を叶えましょう
栞のテーマ
「可愛いミーナ」


ト長調の代表曲
「あなただけを」
「慕情」
「太陽は罪なやつ」
白い恋人たち
「Moon Light Lover」


どれもしっとりしたものからポップなものまで色々です。ミスチルだってB'zだって二長調の曲たくさんあります。数えた訳ではないけど、世の中に存在する曲数はハ、ト、ニの順で多いんじゃないかな。単純に♯の個数順に。




私はむしろ、桑田佳祐のコード進行にある特徴を見るのです。それはⅤm7の使い方。ハ長調でいうとGm7。

「心を込めて花束を」でいうと、Aメロはじまってすぐ”子供の頃に”

素敵な夢を叶えましょう」でいうとBメロの出だし”夏の世に咲く花火が”

「可愛いミーナ」のAメロの”涙溢れくる”

可愛いミーナ

可愛いミーナ

  • 桑田 佳祐
  • J-Pop
  • ¥250

「慕情」のBメロの出だし”泣かせてStarDust”

慕情

慕情

「飛べないモスキート」ではAメロの叫び”痛みを避けるため”のとことBメロ出だし”この街のどこかで”

飛べないモスキート(MOSQUITO)

飛べないモスキート(MOSQUITO)

  • 桑田 佳祐
  • J-Pop
  • ¥250



Vm7なんてあまり使うコードじゃないんですよ。ふつうはドミナントのⅤが使われるから。Ⅴm7ってすごい違和感なんです。結構、ドラスティックに雰囲気を変えるコードなんです。

音楽理論的に解釈すると、ハ長調でGm7を使うということは、一旦へ長調に転調したとみせかけて、Ⅱm7を借りてきていると解釈されます。でも実態はハ長調のままなのです。


ミスチルでいうと最近の「Melody」のBメロくらいでしか思いつかない。でも桑田佳祐の曲ではぱっと思いつくだけでこんなにある。こういう違和感をポップでキャッチーなメロディにさりげなく放り込んできちゃうところが桑田佳祐の天才たる所以だと思います。

桑田佳祐は日本音楽史上最大の天才の一人だと私は思っています。本当に素晴らしい作品が何十曲とある。でも、残念ながら、最近の曲は全然聴く気がしない。「さくら」を頂点に桑田佳祐、サザンの作品はどんどん小さくなっていると思っています。

nanikagaaru.hatenablog.com

またこういう尖りまくったアルバム作ってくれないかなぁ。

遮光/中村文則

遮光 (新潮文庫)

遮光 (新潮文庫)

幼いころに両親を亡くした主人公。大学生になり出逢った彼女も交通事故で亡くす。彼女が亡くなったことを受け入れられず、あたかも彼女がまだ存在するかのように周囲に振る舞い続ける狂ったお話。

狂っています。完全にイっちゃってます。でも、イッちゃっている人の思考回路が生々しく描かれていて、なんとなく、そんな振る舞いをしてもしょうがないような気がしてくる。彼の喪失感が溢れ出して、読者の日常に侵食してくる。

金もある、友人もいる、おそらくモテる、他の女性から言い寄られたりもする、でも、そんなことじゃ満たされない人間の絶望。何の救いもないお話ですが、そこまで一人の人を愛し続けることができる可能性の中に光を見いだせるのかもしれません。

ASKAの心に突き刺さるフレーズ5選

音楽

最近、ASKAに関する記事がよく読まれているようです。

 

みんなASKAのニューアルバムを早く聴きたいんですね。涼しい気候とASKAの楽曲との相性が良いせいかも知れません。私も最近、ASKAの曲ばかり聴いています。

 

ということで、今回は私の心に突き刺さったASKAの珠玉のフレーズを紹介したいと思います。歌詞の意味だけでなく、載せたメロディともマッチした奇跡のフレーズです。

 

 

僕は時々寂しかったけど、大人になるともっともっと寂しかった


ASKA / 草原にソファを置いて

 

「草原にソファをおいて」の大サビ部分です。16歳の時から聴いてますが、歳をとる毎に、その通りだなと思い知らされます。寂しかったけどの不安定なメロディから突き抜けるようにサビに向かう様は圧巻。

 

この指の先でそっと拭き取れるはずの言葉だけど積もり始めたら泣けて仕方ない


月が近づけば少しはましだろう / ASKA

「月に近づけば少しはましだろう」のサビの一節。

この曲はもう全てが、前奏の展開が、陰鬱な歌詞が、上がり下がりするサビが、吠えるような歌声が、間奏のギターのリフが、心を揺さぶるのですが、特にこのフレーズを抜き出してみました。何気ない一言が、いつも聞いている一言が、今日に限って心をかき乱す時ってあるでしょう。自分でも何故だか分からないんだけど、心が沈んでいく時。そんな時にこの曲を聴くのです。呆然とします。気がつくと知らない場所にいたりします。それくらい心を持って行かれる曲です。

 

ずるいよ 君から去ったくせに こんな時だけ呼び出して


ASKA - MIDNIGHT 2 CALL

「MIDNIGHT 2 CALL」のサビ。

まるで一本の映画を観ているように、さまざまな情景が浮かんでくる名バラード。若い頃はこんな恋愛あるんだろうかと思ってましたが、最近大人の女性と恋愛の話をしてると、本当にこういう女性がいたりします。私が「MIDNIGHT 2 CALLみたいですね」って言っても通じないから、もっと市民権を得てほしいです。

 

滴が床に落ちるような時間で僕らは生まれ合った


同じ時代を / ASKA

「同じ時代を」の一節。

滴が床に落ちるような時間、という比喩の秀逸さよ。落ち始める地点と床との距離が分からないから厳密には時間は求められない、とかそんな理系脳が吹っ飛ぶくらい直感的、直情的。この歌詞を運んでいるメロディが力強くて、見事にハマっている。滴がー、ゆかー、におちるしゅんかー、んにと、韻を踏んでいるのもカッコいい。さらに、ぼくらー、は、うまー、れあった、というのも韻だ。生まれ合うってすごい言葉ですね。

 

僕が願うのはほんのわずかな愛も見逃さないこと

 


ASKA 抱き合いし恋人.mp4

「抱き合いし恋人」の、ラストサビ。優しいメロディに優しい言葉。とても素敵なフレーズです。こんな風に生きていきたいですね。

 

 

いかがでしたでしょうか。一人でも多くの方にASKAの素晴らしさが伝われば、これ以上の喜びはありません。

 

 

 

 

迷宮/中村文則

小説

読み過ぎ。うん、わかってる。バランス悪いくらい読んでいる。分かっている。でも、『土の中の子供』『最後の命』はキツかったけど、この本は大丈夫!

迷宮 (新潮文庫)

迷宮 (新潮文庫)

弁護士事務所で助手として働く主人公。彼の恋人は迷宮入りした『折鶴事件』の遺児。折鶴事件とは自宅で父母が殴打の上、めったざしで殺害され、兄が殴打の上、毒殺され、妹が睡眠薬で眠らされていた事件。家の扉は全て施錠されており、出入りできたのはトイレの小さ過ぎる窓だけだった。

登場人物の心象描写はいつもの通り丁寧で鮮やか。本書は折鶴事件の真相解明がミステリー的エンターテイメントとなっています。明かされる真実に驚かされること間違いなし。

いつも世の中を斜めに見て、ひとり悲劇のヒーローを気取る主人公に対しての上司の言葉が突き刺さります。

お前がいま抱えてるくだらない虚無みたいなママゴトも、俺が知らないとでも?そんなものは、もう何十年も前に自分の中で消化してるんだよ。当然だ。俺が人生に現れる現象の全てを、心の底から完全に祝福してるとでも?俺は人間の限界を知っただけだ。一見下らないと思っても、生活の中に身を置くことで、生活は幸福の感覚を享受させようとしてくれる。こっちがそんなもの幸福と思っていなくても、くだらないと思っていても、向こうからは健気に!俺は謙虚になっただけだよ。毎日を受け入れる。弁護士の成功の喜びを受ける。正確にいえば甘んじて受ける。そうやって社会の歯車の中で生活していけば、俺みたいなくだらない存在だって誰かのためになる。そうやって生きてくんだ人間は。本当の賢さとは世界を斜めから見る事じゃない。日常から受けられるものを謙虚に受け取ることだ。

百年の中二病も冷める言葉!この世界は一人の人間では抱えきれないほどの悲しみを生み出すこともあるけれども、日々の営みはそれらを全て飲みこむほど大きく、なだからで、退屈だ。そんな生活に身を置くことで、怒りも悲しみも喜びも後悔も希望も呪いも祝福も洗い流されてしまう。世界の片隅で一時に立ち現れる激流にはまり込むのも良い。でも、日常に巻き起こる出来事に身体感受性を研ぎ澄ませながら生きていくことも出来る。中村文則の小説の主人公は結局そうやって生きていく道を選ぶのだ。



この本は「ちょっと中村文則の斜に構えたところが嫌だ」という人にもおすすめです。

最後の命 / 中村文則

小説

もう辛い。中村文則の本、辛い。最近元気が湧かないのは中村文則の小説世界に自分の人生を取り込まれているからに違いない。

 

でも読まずにいられない。登場人物がどんなことを思い、何を感じ、どう生きていくのか見届けずにいられない。

 

 

最後の命 (講談社文庫)

最後の命 (講談社文庫)

 

 

この本もまた重苦しいテーマです。7年ぶりに連絡があった親友、冴木。家に帰ると女の死体。冴木は連続強姦の指名手配犯だった。主人公と冴木には共に幼少時代を過ごし、強烈な体験を共有していたのだが。

 

人間が命と向き合う時に立ち現れる苦悩を真正面から描いた作品です。暴力的な性欲を燃やし続ける人間の命は生きるに値しないのか。人の命を奪った人間の命を救わないことは罪なのか。精神に異常をきたした人間は人の命を奪っても許されるのか。誰も救えない自分は生きていても良いのか。愛する人の罪は許すことができるのか。

 

考えても考えても分からない。主人公も読者も作者も悩み続けるしかない。

 

中村文則はよく同種族の命を奪う行為は本能として、遺伝子レベルで忌避される、と言う。虫や魚を殺すのは抵抗が少ないが、犬や猿を殺すと罪悪感がわく、それは種として人間に近いからだと。でも私はそうは思わない。人間は命を奪うという行為に対して嫌悪感を抱いている訳でもはなく、愛する対象がいなくなることを強烈に恐れているだけだ。遠くで知らない人間が死ぬよりも、自分で育てたサボテンが枯れることの方が悲しい。目の前で他人が死ぬより実家の犬が死ぬ方が悲しい。それは愛情の多寡による。

 

生きることは愛情を失い続けることでもあると私は思う。

 

かつて愛した人への愛情が消える虚しさ。愛した人が自分への愛情をなくしたことに気づく悲しみ。

 

自分の人生と向き合い過ぎると何もかも憂鬱になってしまう。何も考えずに眠りたい。眠っても夢でうなされ、起きては身体の不調を感じるのだけれども。

 

もしかしたら、明日、素晴らしい1日になるのかもしれない。そう信じて生きていくしかない。