「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

素直な日記

営業で地方を車で移動することが多いのですが、走っていると「なんでこの店が潰れないんだ」と思うことがよくあります。森の真ん中にある汚いクリーニング屋とか、ボロッボロの「〇〇箱製造所」とか、ド田舎の税理士事務所とか。看板に歴史を感じさせるのでおそらく老舗なのでしょう。創業して20年以上たっているのかもしれません。とすると20年は食いつないでいくことが出来たわけだ。


一方で私がやっている新規ビジネスは食っていくには程遠い惨状。1日500円の食費を出すのも不可能。だって大赤字なんだもん。会社の後ろ盾もあり、6人の優秀な人員をアサインしてもらい、資金繰りに困ることもない、こんな恵まれた状況の中でも成果を出せない自分が不甲斐なくて仕方がない。こんな片田舎の小さなお店でも利益を出せているのに、私は全く利益を出せない。田舎を走るたびにいつもそう思ってしまう。自分が最も能力のない人間のような気さえする。


昨日は有吉のダレトク!?という番組でCASHの光本社長が出演していた。事業はうまくいっていて、都内の超高級ワンルームに住んで、専用のバーで芸能人とパーティーを開いているらしい。


CASHは私の事業とほぼ同時期にリリースされました。かたやサービスを一時停止しなければならないほど大盛況。こっちは全く注目されないまま赤字を垂れ流している。光本が羨ましくて昨日は悶々としていました。


たしかにCASHのデザインは素晴らしい。サクサク動くし、使い方も簡単。ユーザーにとっては素晴らしいサービスだと思う。でも、それだけじゃ事業はうまくいかない。当たり前だけど買い取ったもの買い取った価格以上の価格で再販するというのが一番難しい。試しに私がCASHで現金化したものはメルカリで全く相手にされなかった昔のブランド服だった。メルカリで数百万人に直接アクセスして売れないものをなんでCASHが高値で売りさばくことが出来るんだろう。中古服屋みたいなホールセラーに纏め売りしたのでは、買いたたかれて逆ザヤになってしまうだろう。だからこのビジネスは実験的で面白いけれども、事業としてはうまくいかないと私は思った。でも。でも。うまくいっているらしい。事実としてうまくいっている。光本社長は良い暮らしして、高橋真麻と酒飲んだりしている。私は仲間から「どうやったら成功するか分からない、やる気がわかない」と責められている。辛たん。


光本社長が羨ましい。悔しい。うー。

玉置浩二のコンサートに行ってきました。

先日、KOJI TAMAKI PREMIUM SYMPHONIC CONCERT 2018「THE GOLD RENAISSANCE」に行ってきました。

安全地帯のコンサートと合算すると玉置さんのコンサートに行くのは5回目か6回目くらい。相変わらずMCなしの歌一本勝負だったのですが、今回は史上最高に素晴らしかったです。3000人くらいのホールでオーケストラをバックにコーラスなしで歌います。時にはマイクを置いて地声で聴かせる場面もありましたが、それでも十分3000人に通る声量でした。


玉置浩二はバンドスタイルよりもオーケストラスタイルで歌うべき歌手だとさえ思いました。かつての玉置さんではバンドスタイルが最高の表現手法だったことは間違いない。でも、最近の玉置さんの歌は感情量が半端じゃない。これは聴いてもらわないと分かってもらえないと思うんだけど、そんじょそこらの歌声とはまるで別物なのだ。「行かないで」はメロディに乗せた言葉ではなくて、本当に行かないでほしいという想いがたまたまメロディになっていた、という表現の方が正しい。「たったひとつの愛見つけた」と玉置さんが歌ったからには本当にかけがえのない愛をそこに感じ取ることが出来る。こんな歌い手が他にいるだろうか。


そんな訳でバンドスタイルでは玉置さんのワンフレーズワンフレーズに込めた異常なまでの感情量がリズムに乗せられない。天才指揮者と50人のオーケストラが優しく下地を整えてくれるお陰で、玉置さんの異常なほどの感情量が観客に届けられる気がする。


ここまでの感情を表現するには、ここまでの感情を持っている人でなくてはならないと思う。そこまで人を愛せるか、そこまで愛を失って悲しめるか、そこまで愛を追い求められるか。玉置浩二の心の深さに私は驚愕を隠せない。


最高の表現者というのは最高の愛情を持ち合わせた人でなくてはならない。そこまで愛情を持てる人は間違いなく素晴らしい人間なのだと思う。私は玉置さんの才能と人格に脱帽し、嫉妬した。


でも、もしかするとそこまで深く人を愛すことができれば玉置さんの様に素晴らしい表現者になれるのかもしれない、という希望も見出せたような気がした。


芸術の深さは愛の深さだと知った夜でした。

屍人荘の殺人 今村昌弘

屍人荘の殺人

屍人荘の殺人

数々のミステリー関連の賞を総なめにしている本書。作者は新人らしいですが、とても新人とは思えない実力です。

荒々しい舞台設定、禍々しい殺人描写、奇想天外な登場人物たち、精巧に紡がれたトリック、主人公の探偵っぽい人が全く頼りにならないハチャメチャ展開、たしかに「このミステリーはすごい」と言いたくなります。

ただ〇〇〇を使った殺人トリックは小林泰三の「わざわざ〇〇〇を殺す人間なんていない」の方がひねりまくった方法が出ていたので、そこまでの驚きはありませんでした。登場人物のキャラが際立っていたので、おそらくシリーズ化すると思われます。次回作が楽しみです。

あと、映画化もありですね、こういう話は。登場人物が全員美少女なので、映像映えしそうですし。

滅びの園 恒川光太郎

滅びの園 (幽BOOKS)

滅びの園 (幽BOOKS)


常世界に不思議を織り交ぜるTHE恒川ワールド全開の物語です。パワハラ上司に愛のない妻、くだらない日常生活に嫌気がさした鈴上が迷い込んだのはおとぎ話のような世界。山に入れば貴重品が落ちていて、大金が手に入る。可愛い喫茶店で紅茶を飲んだり、ご近所さんと談笑したり。街には犯罪と言うものがないし、悪人は存在しない。可愛い奥さんと娘を設けて祭りに参加したり、平穏に暮らす日々。鉄道一本で完結した街で、豊かな資源はどこからやってくるのか、お金は誰が必要としているのか、ちょっとした矛盾も吹き飛ぶ幸せな生活。


一方、鈴上が姿を消した地球ではプーニーという白くてぷにぷにした生き物が繁殖し、人類は滅亡の危機に瀕している。プーニーに抵抗する人類、プーニーをコントロールする能力者が出てきてプーニーと鈴上が迷い込んだ世界の関連が明らかになる。果たして人類はプーニーから世界を救えるのか。


世界観はとても魅力的ですが、個人的にはちょっと物足りなかった気がします。「金色機械」の方がなぜかワクワクが止まらなかったのは、完全なる異世界よりも通常世界+プーニーの世界の方に多くページが割かれていたせいかもしれません。


にしても、恒川光太郎の頭の中ってすごいですね。

サッカーW杯ポーランド戦の罪

サッカー全然詳しくないし、興味もないんですけど、世の中で流行ってる話題に乗っからないと生きづらいってことが32歳にしてようやく分かってきたので、今回のW杯は頑張ってみようとしてるんですよ。

 

そしたら、先日の日本対ポーランド戦。ラストのパス回しに関して、世界中から狡猾とか卑怯とか批判されているけど、日本のテレビで解説してる人は、これが勝負の世界とか、戦術の勝利とか、日本の成長を見たとかみんな擁護してるんですよね。

 

でも俺思うんだけど、サッカーW杯ってエンターテイメントだよね。資源の奪い合いとか、人命を賭して闘っているわけじゃないよね。努力が身を結ぶ瞬間とか、超人的な技量とか、贔屓にしているチームが勝利したり、そういうのをみて楽しむのが唯一の目的だよね。そうだよね。楽しむことだけが目的だよね。

 

だったら、あのパス回しは日本チームもポーランドチームも観客も視聴者も全員がクソつまんないと感じた瞬間に失敗だと思うんだ。クソつまんなかったでしょ、みんな。ポーランドだってもっと攻めたかったし。日本だって実力を試したかったし、視聴者も最後まで勝負を見たかったよね。あれを許していたら、W杯の唯一の目的が破棄されてしまって、参加していた人たち、見ていた人たちの思いが一気に冷めちゃうのよ。あれ俺なんでこんなことしてたんだっけって。負けても良いのか、じゃあなんで応援してたんだろ、なんで球を蹴って喜んでんだろって。究極、勝ち負けなんてどうでも良いのよ、スポーツなんて。勝ったら嬉しい、負けたら悔しい、それだけ。負けることで命取られることもないし、勝つことで世界を征服できるわけでもないの。ただ興奮と熱狂を体感できる、それだけなの。それだけが目的。その条件だけに同意署名して、世界中のチームがロシアでサッカーの試合を始めたわけ。

 

だからさ、勝負を捨てたら終わりなのよ。その瞬間にクソ退屈な日常が熱狂を奪ってしまうのよ。あのパス回しの時間は世界中を退屈の暗闇に貶めた、罪深き行為だと思う。そっか、別に本気でぶつからなくても良いのか、そんなに熱く勝利を求める必要がないのか、とみんなが思ってしまった。もうサッカーする意味さえない。本気でサッカーしないなら、なんでW杯に出たの?何がしたかったの?パス回し?これでサッカーに熱狂する人もサッカーを始めようとする人も減ると思う。サッカーを好きになろうと思ってた俺の思いが冷めたのが何よりの証拠だ。

 

筋トレやめてキックボクシング始めた件

2016年春から通っていたジムを退会しました。Testosteroneさんの「筋トレが最強のソリューションである」に感化されて以来、筋トレ教徒になっていたのですが、最近全然モチベーションが上がりませんでした。

というのも身体が全然変わらなかったからです。最初の半年でじんわり筋肉ついてきたかなと思ったのですが、そこから1年半くらい大胸筋が分厚くなることも、二の腕が太くなることも、腹筋が6つに割れることもなく静かに過ぎていきました。成長を感じないとやる気もおきなくて、やる気起きないと成長もしないという負のスパイラル状態でした。


今思えば、ジムに通うよりも、仕事が忙しすぎて何も食わなかった1週間の方が劇的に身体が変わりました。太ももに隙間が空いたのは小学校低学年以来かもしれない。


ただし、ジムで汗をかいた後、サウナと水風呂に入るという習慣は気持ちよくて好きだったのは確かです。それがなくなるのが惜しいですが、仕方ありません。

きちんと負荷をかけていれば、身体は答えてくれていたのでしょうが、私の性分なのか、あまり追い込むことができませんでした。「今日はこれくらいでいいか」の積み重ねが成長を阻害していたようです。自分で行く日を決めて、自分でプログラムを考えるとなると、どうも甘くなってしまいました。やはりプロの人にカリキュラムを作って貰ったり、レッスンで強制的に不可をかけていく、っていうことを強制しないと私はダメなんだと思います。


ということで、今月からキックボクシングのジムに通い始めました。朝から夜中まで一時間おきにレッスンが開催されており、いつでも参加可能。参加したら先生からシャドーボクシング、サンドバッグ、ミット、筋トレを指示されるので、それをクリアしないといけません。自分を追い込んでくれる存在がいるので、身体が締まってきているのを感じます。


もしかすると、ただ単に2年間という単位は人を飽きさせるのに十分だったのかもしれません。ドラムもそれくらいで辞めちゃったし。仕事も同じ業務を2年続けると飽きるし。


キックボクシングも2年後どうなっているか分かりませんが、今は楽しいです。若い女性もたくさんいるので、出会いを求めている人にもおすすめです。

最近のもやもやを晴らすための思考整理

最近ずっともやもやしていることを言語化してみます。


新卒から就職した会社を5年で辞めた理由のひとつは「世の中に何も貢献出来ない仕事だったから」と思っていました。メーカーだったのですが、私のような文系の事務職が集まっている部署はモノを作って販売するという商売の流れの中に存在しなかったのです。作るのは工場、売るのは現地の代理店。本社にいる大卒文系の人間はそれらの活動を横からみてレポートを仕上げる、というのが主な仕事でした。


「こんなくだらないことをするために生きているわけではない」と当時の私は本当に思いました。すき家で牛丼を作っているアルバイトの人に嫉妬し、涙しました。「この人は人に役立っている、社会の中の役割を担っている、なのに私はなんのために生きているんだろう」と。


そんなとき、大学時代に無茶な起業を考えたことを思い出しました。定年を迎えた父に「やりきったと思える仕事」について聞きました。


このまま、ここにいては後悔すると思いました。せっかく大学まで出て、哲学勉強して、プログラムも勉強して、本もがっつり読んで、体も鍛えて、人間的成熟を目指して生きているのだから「誰も読まないレポート」を作り続ける40年は嫌だ、と思いました。自分の力を試してみたい、20代後半で腐ってたまるかと。そしてかなり自由にやりたいことが出来る会社に転職しました。


ここで私は世の中で初めての事業を創りました。小さな事業ですが業界では少し話題になりました。発想から2年がけで、めちゃくちゃ苦労しましたが、なんとか去年事業は開始出来ました。


そして1年が経ち、全く事業として成功する兆しが見えません。売上は超低空飛行で横ばい。経費は掛かり続ける。社内起業なので自分の生活が窮地に立たされることはありませんが、会社には迷惑をかけっぱなしです。


まだ1年、と言い訳することも出来ますが、個人的には手は打ちまくったつもりです。正直、もうどうしたら成功するのかよく分からない。とにかくもがいてみる、もがき疲れて休んでみる、の繰り返し。しかし、最近は全く成果がついてこないので、「どうせだめだろう」という失敗根性が染みついてしまった。失敗体験の積み重ねが人のやる気を削ぐということが良く分かりました。何やってもダメな時があるのと同じように。何やってもダメな事業があるのではないか、そんな気がしてきてしまっている。


前職は「世の中に全く貢献できない仕事」だからやめたと言いました。私は新しい会社で、新規ビジネスで世の中を変えられる、社会に貢献できると思い込んでいました。さらに、自分にはその能力があると思い込んでいました。でも最近、全然ダメだと実感しています。既に世の中は自分が思っていた以上に合理的に整理されていて、今までなかったビジネスというのは「なかったなりの理由」があって、必要なものはすでに存在しているものです。(なので新規事業を成功させる人って本当にすごいと思う、尊敬しかない)

自分がこんな事業を始めたからみんなに迷惑をかけている。自分の事業計画が無謀だったから、あたりまえに赤字を垂れ流している。自分の能力がないから事業を軌道に乗せられない。つまり、もともと自分には「世の中に貢献できる仕事」を遂行する能力自体がない、そんな事実が重くのしかかってきました。なのに、なにが新規ビジネスじゃ、貢献じゃ、転職じゃ、生きてる意味じゃ、バカかと。今の自分は情けなくて、ホント嫌になる。


とにもかくにもこんな私を雇って頂いて、給料を頂いているだけで奇跡。むしろ申し訳ない。入社してごめんなさい。生きててごめんなさい。こんな私が、前の会社で右から左へ流れる製品を見て誰も読まないレポートを書いて給料をもらえていた状態に感謝しなかった報いです。


自分の能力を適正に判断し、自分の能力で出来ることをやる、というのは生きていく上で必須のスキルでした。32歳になるのに、自分のことを全く客観的に見れていなかったことが恥ずかしい、自分のことながら片腹痛い。


今にして思うのは誰も読まないレポートなんて存在しない、ということです。たとえ企業の生産活動に直接かかわっていなくとも、そのレポートがある日脚光を浴びるかもしれない。会社が窮地に陥ったときにそのレポートから誰かがヒントを得るかもしれない。コンプライアンス違反を正す契機になるかもしれない。「誰も読まない」と勝手に決めていたのは私自身だ。その仕事もやり続ければ、きっと光輝くものになると信じ続けなくてはならない。それが出来ない人間はすぐに「意味ない」「つまらない」と仕事を投げ出して、結局何にもなれない生涯を送るのだろう、新規事業を始めても「意味がない」「つまらない」と投げ出すのだと思う、今の私のように。


ようやく思考が整理されてきたけど、出口の見えない新規事業を私は頑張り続けるしかない。出口はないのかもしれない。何も報われないかもしれない。でもやる。やるっきゃない。俺たちはいつもやるっきゃない。