「何もない」がある

音楽と本について書きます。日々考えたくだらないことも。

本当にあった婚活の怖い話

わたし、バツイチ子ナシ犬ありで婚活中です。


アプリで出会った大企業秘書さんと何度かデートをしました。見た目は女子アナみたいな清楚系で、とても楽しそうに私の話を聞いてくれて、何よりも私にすごい好意を持ってくれている子でした。

脈アリ?ナシ?とか言う問題じゃないくらい、ガンガン、アプローチをもらいました。

この子には真摯に向き合わないといけないなと思い、3回目のデートでバツイチであることを告げました。子供なし、慰謝料もなし、連絡もとっていない、心の病気でいろいろ大変だった、ことを言いました。

すると彼女は「全然気にしない!」と言ってくれました。

彼女とはいろいろな話をし、紅葉を見に行きたいね、とかバクテーを食べたいねとかこれからの話をいろいろしました。


でも不思議とキスをしたり、それ以上をしたいという感情が湧きませんでした。正直、あんまり見た目もタイプじゃない気がして、でも長く付き合っていくうちに好きになっていくのかなぁなんて思っていました。


4回目の食事のときの話です。

秘書「昨日は寝れた?」
私「うん、ぐっすり。寝れないってことないもん。」
秘書「そう!良かった。」
私「秘書さんは寝れた?そういえば出張とか、旅行先ではよく寝られないって言ってたよね」
秘書「そうなんだよ。幽霊がいると、やっぱり怖かったりするから」
私「あぁ、そうなんだ、寝れないときってあるよねー」


ん??


私「幽霊見えるの?」
秘書「うん、見えるよー」
私「普通に?」
秘書「うん、家族全員見えるよー」
私「え!?どういうこと!?幽霊いるの?」
秘書「あ、見えない人?へー、血液型は何型だっけー」
私「!!!!!!??????」



彼女にとって、幽霊が見える人見えない人というのは血液型がA型かB型かっていうくらいナチュラルな区分けのようでした。お父様はガチガチの理系でしたが、かなり霊感の強い母親の影響で見えるようになったとか。霊感強い人と一緒にいると見えるようになるらしい・・・・。




















いやだぁあああ!!!!見たくねぇえ!!!!
















っていうか、幽霊見えるとかさぁ・・・・・・。もうやめてよ。

まぁいいよ。100歩譲って。科学では説明出来ない事象はたくさん存在するよ?それは認めるよ。でもさぁ、幽霊じゃないよ、たぶん。

駅に?
ぼやぁっと?

足がないって??
二度見したら消えてるって??


なにそれ。そのオカルト。テンプレみたいな発想。もうやだ。


彼女は幽霊が普通に街に漂っている世界を生きている。
私の世界には幽霊はいません。見えません。


一緒に温泉旅行行って「ここ幽霊がいるから帰りましょ」とか言われるんでしょ。
実家に遊びに行ったら「あなたの実家に幽霊がいるわよ」とか言うんでしょ。

無理っしょ、それ。
幽霊見える人と一緒にいるの無理っしょ。
自分が幽霊見えるようになるの無理っしょ。


俺の心が狭いのかな。
みんな幽霊OK??

いやいやそうじゃないと思うなぁ。

たしかにバツイチは気にする人いるよ。だからプロフィール欄にも書く欄あるよ。

でもさ、幽霊見えるかどうかもきにする人多いと思うよ、俺。だって幽霊見える人いやだもん。ちゃんとプロフィール欄に描いてよ、幽霊見えるって。俺は幽霊みえないって書くから。そうすればマッチングしねぇから。な?頼むな、アプリの人。


なんかもうドン引きだったので、即刻もう会えませんと言いました。会って話すのも嫌だったのでLINEで別れを告げたところ「あなたは一人の女性を幸せに出来なかった人だから、こちらから願い下げです。バツイチはやっぱりだめですね」とおもっくそ人格否定されました。ワロスwww。だって会ったときに「あなたの背中に霊がいます」とか言われたら嫌だもん。。





境界性人格障害という悪魔のような病気があることも30代にして知りましたが、幽霊が見えるって人がガチでいることも初めて知りました。まだまだ世の中知らないことだらけですね。


婚活中の皆様。金銭感覚、笑いのツボ、好きな食べ物、も大事ですが。幽霊が見えるかどうかも結構大事な要素だと思うので早めにご確認くださいね。

愛を知らない人

この世界には2種類の人間がいるらしい。愛を知っている人と愛を知らない人です。

 

大抵の人は愛を知っています。生まれてから両親から愛情をめいいっぱいうけて育ちます。声をかけたら答えてくれる母親がいます、力一杯抱きしめてくれる父親がいます。そこで、自分は無条件に愛される価値のある人間なんだと確信します。これが愛を知るということです。

 

愛を知ってるから恋人に裏切られても立ち直れます。仕事で失敗しても立ち直れます。病気になっても治そうと思います。だって、この世界には自分を愛してくれる存在がいる、という確信があるから。愛はこの世界に確かに存在するという前提があるから。

 

 

でも幼い時に親の愛情を受けられなかった人はその前提がありません。恋人に裏切られることは愛情の否定です。仕事で失敗することは自分自身の居場所を失うことです。病気になっても治す必要がありません、だって自分は生まれた時から誰にも必要とされていないんだから。生まれてから誰にも愛されなかった人がどうやって自分を大切に出来るのでしょうか。第一に、大切にするという意味がわからない。この世界は自分を必要としていない、自分にだけ冷酷な世界という大前提がある。

 

愛を知らない人にとって、この世界は地獄です。文字通り本当の地獄です。なぜか自分だけ愛されない。他の人は愛されているのに、自分だけ愛されない。実態としては友人も隣人も同僚も同じようにあなたを必要とし、愛しています。でも、原初の体験で愛を教わらなかったら、それを感知できないのです。あなたはいつか自分から去っていく友人を恨みます、恋人を呪います。本当は友人も恋人もあなたを愛してます。でもあなたには感知することが出来ません。だって、これが愛だってことを教わらなかったから。なんの確信もない、なんの基盤もない、なんの愛情も感じられない世界にたったひとりぼっちで生かされている、それが愛を知らない人です。

 

たとえ両親だろうと無限に子供を愛するわけではない。愛は無限ではない。愛を知っている人はそのことも分かっている。でもそれは、愛された原初の体験があるから、そんなものだと理解することができるのです。

 

一方、愛を知らない人は原初の体験がからっぽです。だから無限の愛を求め続けるしかない。ただ愛されたい。でも愛を感じられない。だから一生満たされることはない。食べても食べても空腹なのと同じ。寝ても寝ても眠いのと同じ。愛されても愛されても感じられない、寂しさは減ることがない。

 

 

元妻は愛を知らない人でした。穴の空いたバケツのように、ひたすら愛を求めていました。私だけでなく、私の母親にも。無限の愛情を求めて泣いていました。両親もいながら義両親にも愛情を貰っている兄嫁を憎んでいました。私のことも憎んでいたのかもしれません。両親から無限の愛情をうけてるくせに、無限の愛情を与えてくれない私を。同じ誕生日に全員から祝福されて生まれた甥のことも、そうやって憎んでいたのでしょう。自分は誰からも愛されなかった、なのに、この子は二組の祖父母と両親が祝福してくれている、私と同じ誕生日に、なぜわたしに向けられるはずの愛情を奪うのか、と。

 

その憎悪を暴力に向けることが出来ず、無茶な要求をしたり、愛情を試したりしていたんだと思います。周りが疲弊して自分の周りから去っていくと、ほら誰も私を愛していないのね、と憎悪をより強固にしていくのです。

 

 

彼女が満たされることは絶対にありません。一生空腹の人生、一生睡眠ができない人生、宇宙の隅にたった一人取り残された人生、そんな絶望の中を彼女は生きてるんだと思います。

 

幸せになってほしいというのは私の傲慢なのかもしれません。私が幸せには出来なかったのだから、そんなことを願う権利はない。

 

どんな時でも何をしても無限の愛情をくれる存在を、人は神と呼びます。だから人間は神を作りだしたんだと思います。

 

人間には無限の愛情が必要だ。愛情がない人生は地獄だ。

 

彼女が神様の存在に気づいてくれるだろうか。どうか彼女が神様から愛されますように。ただそれを祈り続けることしか私には出来ません。

 

 

 

 

 

 

 

電車を待っている間に読んで泣いた『村西とおる語録集 どんな失敗の中にも希望はあるのでございます』

頑張って生きている人におすすめしたい勇気の書。もうだめだ、ほんとにだめだ、こんどこそ完全にだめだ、という時に手に取ってみてください。涙があふれ、勇気が湧き、一歩前に踏み出している自分に気づきます。


私たち人間が持っている能力のうち最大のものは、死の間際まで決して膝を折ることのない、この「絶望しない心」といえるのです。人間は誰もがこの”あきらめない力”に支えられていて、希望のうちにこの世から旅立つのです。


人間は諦めちゃいけない。諦める所以が何一つない。


挑戦し続けなきゃだめですよ。
たとえ一敗地にまみれようとも。


とにかくやり続けることの中からしか、いろんなものは生まれてこない。


勇敢であれ、すべては後からついてくる。


何か事を成し遂げようとすると、好むと好まざるとにかかわらず敵はできる。それを恐れていても何事も成し得ない。どうせ立ち向かう敵なら立派な敵がいい。


どんな苦しみだって耐えられる。過ぎ去ってしまえば全て思い出になるから。


俺には希望なんて何もない ご自身がいくらそう思っても希望はあるんです。希望が向こうでパックリお口を開けて待っているのでございます。


これ以上は駄目だ、と思っていてもいつかは慣れるのだ。耐えられるレベルが広がる。有難い。だからへこたれなくていいんだ、頑張れ。



母に、戦争が終わって何が嬉しかった、の質問。
道で野垂れ死にをした女の死体が辱めをうけるようなことはこれでもう無い、と思った、との答え。



目標に一歩一歩近づいている充実感は何ものにも代え難く
1日たりとも休んでいる事などできないのです。



目的を持って働いている人間にとって、休みの無い労働であっても苦になることはなく、
それは喜びでさえあります。


ガマンの後に天国がやってくる、SEXと人生。


偉大な成功を成し遂げたといってその志の賜物と高ぶらない方がいい。
失敗もまたその志の低き故と落ち込む必要はない。大部分は偶然の結果に過ぎない。



村西とおるは負けません。
会社が倒産しても村西個人は死なない。
情熱、創造力に倒産はないんです!



結果だけを云々するというなら、この世の99パーセントは地獄の日々だ。目的を成し遂げるまでの日々は苦しみの連続だから。1パーセントの楽しみのために99パーセントの人生を犠牲にするなんて嫌だ。山登りのように、登山の途中の風景や雨や雲を楽しもう、そうしたことを味わえぬのなら山に登る資格は無い。楽しめたら山頂は二の次だ。


遠回りして初めて、本なら2行で書いてあるような真実が、沁みる。そういうもんなんです。


人間は必ず失敗します。その失敗を引きずらず、いかに早く忘れて次の目的に向かって挑戦するか、が人生の別れ道となります。


感謝されたいという気持ちを持てばそれがアダになることを知りました。他人のために何かをする時は、その「アダとなる気持ち」が起きないように、「ありがとう、と言われる事を決して望んではならない」ことを学べたのは大いなる収穫でございました。


人の役割の第一は、何よりも自分の命を生ききること。


カップヌードル安藤百福さま61歳のとき、アンパンマンやなせたかしさまは69歳、ココ・シャネルは71歳、ケンタッキーのカーネルサンダースは62歳で圧力鍋1つ子を車に積んでスタート、三浦雄一郎様のエベレストは80歳。諦めるには先が長すぎる。



ファンタスティックに参りましょう。


人生は喜ばせごっこなんです。


人は励まし合うから生きていけるものだ。
あなたに、お疲れ様!



人生って、ナイスですね。


世界にひとつのプレイブック

妻の浮気で心身のバランスを崩した男と夫の死の傷を負う女の再生の物語、と聞けば今の私にうってつけの映画に決まっています。しかも主演はあのジェニファーローレンス!!これは最高の映画だろうと思ったものの。。。。


登場人物のほとんどが精神病なので、私の以前の生活時のプレッシャーがフラッシュバックしてちょっと辛かった。急に怒り出したり、感情をむき出しになる人を観ると動悸がする。


あとダンスに行き着くまでが長い。無駄な場面が多い気がする。


アメフトの賭けが全然ピンと来ない。アメリカでは普通のことなのかもしれませんが、野球賭博みたいなものじゃないの?犯罪臭がして全然共感できない、喜べない。感動もない。


せっかくのジェニファーローレンスですが、ゴシック系というか、パンクロックみたいな化粧とファッションが多くて、輝いてない。もっとゴージャス系というか綺麗目の方が私は好き。

というわけで、私的には刺さらない映画でした。残念。

スパイダーマン ホームカミング

ちょっと前に観ました。

アヴェンジャーズを観ていないのでスパイダーマンとアイアンマンの力関係がよくわからず、ストーリーが全く頭に入ってきませんでした。スパイダーマンの続編を作ろうという狙いが先にあって、とりあえずストーリーを組み立ててみた、という感じでしょうか。

全然面白くありませんでした。

一気読み必死『往復書簡 初恋と不倫』 坂元裕二

久しぶりの読書記録です。激動の一ヶ月間だったので本を読むどころではなかった、というのと「こんなに本を読んでるのにお前は何を勉強してたんだ」という父親からのするどいツッコミを受けて、少し本から遠ざかっているという事情もあります。

小説は異なる人生を追体験出来るとか言っておきながら、めちゃくちゃな失敗をしでかしているわけですから、ホント自分のこととなると経験してみないとわからないもんですね。今思うと、私の結婚生活って小林泰三のどっちが大事?と同じ状況でしたからね。

まぁ、その話は置いておいて。


往復書簡 初恋と不倫

往復書簡 初恋と不倫

ドラマ『カルテット』が私の人生で最も素晴らしいドラマの一つとなりました。『やまとなでしこ』と双璧をなす伝説のドラマです。『カルテット』の脚本を書いたのが、坂元裕二

この本は坂元裕二の舞台で使われた物語です。物語と言っても、男と女の手紙?メール?のやりとりが延々と続いていくだけ。風景描写もない。登場人物もまた聞きでしか増えない。とってもシンプルな構成なんだけども、さすが天才、坂元裕二。読ませる読ませる。一気読み。

ただの会話なのに。すごく切ない。

すごく短い文章なのに。胸のざわつきが抑えれらない。


最高に刺さった言葉。

悲しみを伝えることって、暴力のひとつのだと思います。

話すと楽になるというのは、悲しみを背負ってもらっているからなのかもしれません。逆に考えると、悲しみを伝えられたら、その分だけその人の助けになっていると言えるのかもしれません。

離婚後の心境

先日、親戚の家に行き散々心配と迷惑をかけたことを謝りました。

みなさん口をそろえて
「俺は最初からそう思ってた」とか
「あんなのどう見てもおかしいよ、早く気づけよ」と言います。

まぁ、そうだよね。うん、ホントそう。

付き合い始めたのはこのブログ開始とほぼ同時期で7年以上の歳月を元妻に捧げたことになる。まぁ元妻にとっても20代前半の最もいい時期を私に奪われたと思っているのでしょうが。


元妻は日曜日に家を出て行きました。職場が近所なので家も近所です。ただし鍵も返してもらったし、鉄道の路線も違うので、まぁ普通にして会うことはないだろうなという距離です。犬には会いたいとせがまれましたが、なんとかごまかしました。

最後の食事のとき、「あなたにはもっと自由を許してくれる、おおらかな女性が良いと思うよ。」とアドバイスを貰いました。「私には次はどんな人が良いかな?」と聞かれたので、そこで私は文字通り絶句してしまいました。句が絶えるとはこのことだな。だって元妻に合う人なんて存在しないもん。全て許してくれて、あなただけを見つづけて、いくらでもお金を持っていて、身体も求めなくて、ずっと頭を撫でてくれて、こちらが何も与えなくても愛し続けてくれる人、そんなの神様しかいない。いやいや神様でもそんなことしてくれないと思う。私が無言でいると「あ、っそ」と言って会話が終わりました。


最後は本当にあっけなく、じゃあねと言って別れました。これでおしまい。



一か月前は普通に軽井沢旅行とか行ってたのに。一ヶ月でここまで人生は変わるものかと自分でも驚いています。



昔の写真を見ると、楽しかったことも確かにあったなと思います。淡路島でしゃぶしゃぶ食べ放題行ったり、バスツアーで牡蠣食べたり、沖縄でシュノーケリングしたり、北海道で犬ぞりやったり、二人だけでいる時は本当に楽しかった。私も彼女だけを見て彼女も私だけを見ていた。彼女のためならいくらお金を使っても惜しくなかった。彼女が喜んでくれることが私の生きる意味だった。共依存の関係だったのかもしれません。


でも私が東京に戻り、学生時代の友人に再会し、新しい会社の人間関係が開かれ、お金を手にし、結婚したことで全てが変わりました。


幸福は閉鎖である。


本当にそうだったと思う。東京に来るまではお互い身寄りもなく、無人島で二人きり暮らしていたような4年間だった。


世界が開かれてから、私は彼女を重荷と思うようになった。彼女のせいで友人と遊べない、同僚と飲みに行けない、好きにお金が使えない、親とも会話出来ない、そんな生活を強要してくる彼女が疎ましくなった。


彼女からすると閉鎖空間で楽しく依存していたかったのだろうと思う。こちらに来たばっかりに。世界が開かれてしまったばっかりに、今までの生活が破壊された。


でも、仕方がなかった。
むしろ二人きりの世界にいた4年間の方が異常だったのだ。



たしかに二人でいた時間があった、そこには幸せな時間があった、それだけでもう何も望むまい。


今は何の後悔も未練もありません。

あの時幸せだったからと言って、もう一度元妻とやり直そうなどと言う気持ちは1mmもありません。結婚してから、生活が開かれてからは本当に地獄の日々でしたから。今年行った旅行の写真なんて、私全く笑えていませんからね。そんな状態での結婚生活を2年半、続けてしまったことは私が彼女にしてしまった大きな罪だと思います。



今はこの開かれた世界で、どうやって自分で幸せを掴み取ろうかと考えているところです。


とりあえず異性100人とデートするところから始めたいと思います。